アクションテアターとアンチテアター
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「ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー」の記事における「アクションテアターとアンチテアター」の解説
1966年にクリストフ・ローザーとともに短編映画の製作を始め、同年に『小カオス』など3本の作品を製作した。翌1967年からは演出家兼俳優として行動劇場(アクションテアター)に参加した。この頃から多くの劇団グループとの交流を始めた。ここから反劇場(アンチテアター)が結成された。1968年から1971年の間、ファスビンダーはこれらのグループのほぼ全ての戯曲を執筆した。これらは舞台演劇として上演された後、短期間で映画としても再製作された。ファスビンダーは舞台演劇の演出と映画製作を混交させるスタイルを用いた。 1969年からはグループのメンバーとともに長編映画の製作を始め、ギャング映画『愛は死より冷たい』と『出稼ぎ野郎』を発表した。翌1970年から1971年の間には『悪の神々』(1970年)や『聖なるパン助に注意』(1971年)など、テレビ映画も含めて10本の作品を発表した。 ファスビンダーはグループのメンバーを自身の周囲に結束させ、影響力を発揮し始めた。ある種の擬似家族になったグループは彼の創作への情熱を引きつける避雷針でもあったという。このグループにはファスビンダーの公私に渡るパートナーたちも参加していた。1970年から1972年までファスビンダーは女優のイングリット・カーフェンと結婚していた。ファスビンダーは歌手でもあったカーフェンのためにシャンソンの歌詞も数曲製作した。その間、男優のエル・ハディ・ベン・サレムとも関係を持っていた。
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