アウト・アヴィオ・コルトルツィオーニ設立
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「エンツォ・フェラーリ」の記事における「アウト・アヴィオ・コルトルツィオーニ設立」の解説
しかし、経営陣との衝突で1939年にアルファロメオを去る。この際に、4年間は「フェラーリ」の名でモータースポーツに参戦しないという誓約を結んだ。 1940年には、アルファロメオとの誓約項目を避けるために「アウト・アヴィオ・コルトルツィオーニ」という名の自動車製造会社をモデナに設立し、最初の自らの手によるモデル「815」を生産し、4月28日から行われたミッレ・ミリアに参戦した。 しかしその直後の6月10日に、イタリアが日独伊防共協定を組んでいた同盟国のドイツ国を支援するために、イギリスとフランスに宣戦布告し第二次世界大戦に参戦した。このためにイタリアにおいてモータースポーツ活動が全面的に禁止され、「アウト・アヴィオ・コルトルツィオーニ」も「815」の製造を中止し、兵器製造のための粉砕機などの工作機械製造を行うようになった。 その後1943年8月にイタリアが連合国に降伏しサロ政権が設立されたものの、イタリア北部は事実上ドイツ軍の占領下になったこともあり、モデナの工場が連合国軍機の空襲を受けた上に、自動車製造やモータースポーツ活動は引き続き禁止された。しかしエンツォは、連合国軍機による空襲を避けるべく、また戦後のモータースポーツ解禁に備えて自前の自動車工場をモデナ近郊のマラネッロに移設した。
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