ゆりの木の花の一座や地下墓地(カタコンベ)
作 者 |
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季 語 |
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季 節 |
夏 |
出 典 |
雛土蔵 |
前 書 |
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評 言 |
イタリア三句の前書ある中の一句。アッピア街道沿いのカタコンベ訪問時の吟である。 歴史の一翼を担って逝った古代キリスト教徒を、祝ぐようにまた悼むように零れてゆく白い花に託した鎮魂詠であり、目前のゆりの木の花となって蘇った彼らへの詠嘆でもある。 静生俳句の紛れもない特質である地貌詠は、土地土地への関心を強く喚起する。止み難い異郷への関心に突き動かされた海外詠が、静生俳句に多々登場するのも当然の帰結でもある。 同時に、貪欲とも言い得ることばの探索も要求し、地貌と措辞は謂わば静生俳句の車の両輪とも表現できるであろう。 昨年同行したポルトガル吟行時の印象は殊に強烈であった。静生は、行く先々の名所旧跡にてのガイドの話を逐一書き留めていく外、その事物のスケッチまでも始めるのである。 そこまで礼を尽くされた対象は、微笑んで最も適切なことばをそっと耳にささやくことになる。 その伝で行けば掲句は、「花の一座」という出色の措辞によって実現した一編のドラマである。ゆりの木の花々が、古代イタリアの歴史模様を、クリスチャンの魂を包摂して演じ切り、読み手にどうだと見栄を切った趣は、日本固有の風流とも表現できるであろう。 平成二十三年作。句集『雛土蔵』所収。 撮影:青木繁伸(群馬県前橋市) |
評 者 |
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備 考 |
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