みなとみらい21計画と横浜博覧会
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「高島線」の記事における「みなとみらい21計画と横浜博覧会」の解説
詳細は「横浜みなとみらい21」および「山下臨港線プロムナード#横浜博覧会臨港線」を参照 横浜市では横浜市六大事業の実施に伴い、三菱重工業横浜造船所を移転させ横浜駅東口から新港埠頭までの広大な地域の再開発を行う横浜みなとみらい21計画を打ち出し、1983年(昭和58年)11月8日に着工した。これにより横浜機関区や高島駅・表高島駅などの整理が進められた。 1989年(平成元年)3月25日 - 10月1日にかけてみなとみらい21地区において市制100周年・開港130周年を記念する横浜博覧会が開催された。これに際してまだ線路の残されていた山下臨港線が活用され、1987年12月に財団法人横浜博覧会協会が第一種鉄道事業者の免許を得て、1988年11月に横浜博覧会臨港線として工事が完成、1989年3月25日から10月1日まで旅客輸送を行った。港一号橋梁北側(会場側)に日本丸駅、山下臨港線の氷川丸付近に山下公園駅の2駅のみを設置して、レトロ調気動車を運転した。博覧会終了後の運行継続を望む声もあったが、これは受け入れられなかった。
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