ふたたびパリ時代 晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 04:44 UTC 版)
「マックス・エルンスト」の記事における「ふたたびパリ時代 晩年」の解説
1949年、パリへ戻り、旧友たちとの生活を取り戻す。 1950年、パリで回顧展。 1954年、ヴェネツィア・ビエンナーレ展で大賞を受賞。 1955年、ビエンナーレ大賞受賞を非難してシュルレアリスムからの彼の追放を宣言したブルトンと絶縁。『大アルベルトゥス』制作。 1956年、ベルリン芸術アカデミー会員に任ぜられる。 1958年、フランスの市民権を得る。 1959年、パリで大回顧展。 1964年、『マクシミリアナ』を出版。 1968年、オリヴィエ・メシアンのバレエ『ラ・テュランガリラ』の装置を手がける。『美しき女庭師の帰還』制作。 1972年、ジョルジュ・リブモン・デセーニュの『兵士のバラード』の挿絵制作。 1975年、ニューヨークのグッゲンハイム美術館で大回顧展。 1976年、満85歳の誕生日より一日前に、パリにて死去。 2005年、故郷ブリュールにマックス・エルンスト美術館開館。
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