はじめて音楽に触れる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 05:57 UTC 版)
「ユハ・ヴァイニオ」の記事における「はじめて音楽に触れる」の解説
ユハ・ヴァイニオは1950年代中期に音楽に興味を持ち、ミュージシャンと交流しはじめた。当時、コトカにおけるジャズ音楽の中心地はフェンニア(Fennia)というレストランであり、ケイヨ・ライティネン(フィンランド語版)やヴァイニオの母のいとこオッリ・ミエッティネン(Olli Miettinen)などがそこで演奏した。ヴァイニオは当時21歳未満で未成年者だったが、彼はレストランに潜り込むことに成功、そこで自分が書いた歌詞をミュージシャンに見せ、たまにはピアノ演奏を許されたこともある。ヴァイニオは後に当時の友人たちがヴァイニオはいつでも一文無しであると覚えていたと回想した。やがてヴァイニオはだんだんと飲む量が増え、友人にアルコールをねだることもあった。 1956年末、ヴァイニオはミュージシャンの友人で3歳年上のヘイッキ・カウッピネン(フィンランド語版)の隣に住んだ。彼はドラマーのエルッキ・リーカネン(Erkki Liikanen)とも知り合いになった。ヴァイニオは友人たちとは音楽の趣味が違い、オッリ・ミエッティネンとレイヨ・"レンポ"・タニはジャズを聴いたが、ヴァイニオはシュラーガー音楽(英語版)を好んだ。ヴァイニオは後に自身が書いた歌詞で多くの友達を名指しで描いた。 1957年、フィンランドの徴兵制(英語版)に基づきヴァイニオはフィンランド軍に徴集された。彼は当時19歳でギムナジウム卒業の前年であったが、職を探してからにしたかったためマトゥーラ(卒業試験)直後に徴集に応じることはしたくなかった。そのため、彼は翌年、ギムナジウム卒業の年の春に友人のペッカとともにパリへ休暇に行った。ヴァイニオは1959年春にマトゥーラを合格する予定だったが、スウェーデン語の試験に落ちて秋にようやく合格した。
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