どちらのマーティン・ドルーシャウトか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/29 10:06 UTC 版)
「マーティン・ドルーシャウト」の記事における「どちらのマーティン・ドルーシャウトか」の解説
殆どの資料は、版画家はブリュッセルからの移民ミヒェル・ドルーシャウト(Michael Droeshout)の息子小マーティン・ドルーシャウトだったと述べている。誕生日と出身地を除き、小マーティンについて確かな事は知られていないが、父が版画家であったため、それを継いでシェイクスピアの肖像を彫ったと考えられる。驚くべきことにシェイクスピアの死亡時にドルーシャウトはまだ15歳であったが、そのシェイクスピアの肖像画はベン・ジョンソンに「生き写し」(true to life)と言わせた。彼が本当にシェイクスピアに会っていたとしても、作品は記憶からではなく、失われたシェイクスピアの絵から作られたと考えられる。この肖像画が作られたのは小ドルーシャウトがわずか22歳という非常に若い頃の作品である。 しかしながら、メアリ・エドモンズによるドルーシャウト家への調査により、小マーティン・ドルーシャウトのおじ大マーティン・ドルーシャウトの情報が明らかになった。大ドルーシャウトはPainter-Stainer's Companyの一員で、彼も版画家であった可能性が示された。エドモンズの著書によると "It seems perverse to attribute the Shakespeare engraving to the obscure and unsuitably young Martin Droeshout, born in 1601, as is customary, when there is a quite well-documented artist of the same name to hand, in the person of his uncle".(記録が全くよく残っている身近にいた同名の芸術家がいる場合、慣習的に、おじの代わりに、無名で不適当な若さである1601年生まれの小マーティン・ドルーシャウトがシェイクスピアの版画に携わったというのは変である。) エドモンズはまた大ドルーシャウトが肖像画家マークス・ヘラート(Marcus Gheeraerts)と関係をもっていたことを指摘し、ヘラートによるシェークスピアの肖像画がかつて存在した証拠を示し、ドルーシャウトの版画はその失われた肖像画からではないかと推測した(p. 344)。
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