その後の生活および家族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/06/27 10:49 UTC 版)
「マシュー・ティルマン」の記事における「その後の生活および家族」の解説
1783年、ティルマンは公的生活から引退し、その資産の経営に戻った。ティルマンは1790年5月4日に、メリーランド州クレイボーン近くの「リッチネック」の自宅で死に、そこの家族墓地に葬られた。その家は現在「リッチネック荘館」と呼ばれ、クレイボーンの北、リッチネック道路沿いに今も建っている。この家は1977年にアメリカ合衆国国家歴史登録財に登録されたが、シャーウッド荘館として載っている。現在は個人資産である。 ティルマンはメリーランド植民地初期開拓者の孫だった。祖父リチャード・ティルマン(1626年-1675年)はイギリス海軍の軍医であり、ハーミテージに家族のプランテーションを設立した。父も同じ名のリチャード・ティルマン(1672年-1738年)であり、農園主だった。 ティルマン夫妻には、マーガレット(1742年-1817年)、マシュー・ウォード(1743年-1753年)、リチャード(1747年-1806年)、ロイド(1749年-1811年)およびアンナ・マリア(1755年-1843年)の5人の子供が生まれた。マーガレットは法廷弁護士のチャールズ・キャロルと結婚した。息子のリチャードは独立戦争の時にクイーンアンズ郡民兵隊の少佐を務めた。アンナ・マリアは1783年6月9日に従兄弟のテンチ・ティルマンと結婚した。
※この「その後の生活および家族」の解説は、「マシュー・ティルマン」の解説の一部です。
「その後の生活および家族」を含む「マシュー・ティルマン」の記事については、「マシュー・ティルマン」の概要を参照ください。
- その後の生活および家族のページへのリンク