その他、非常時の町方人口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:54 UTC 版)
「江戸の人口」の記事における「その他、非常時の町方人口」の解説
天野信景の『塩尻』は、享保6年(1721年)の町方人口として86万2600人を記載している。また、大田南畝の『半日閑話』、岩瀬京山の『蜘蛛の糸』、向山誠斎の『乙巳雑記』などは、天明6年10月28日(1786年)または天明7年5月25日以降(1787年)に江戸の町方人口が100万人を超える128万5300人であったと伝えている。また天保8年(1837年)の人口として128万4815人という数字も伝わっている。共に災害の直後の非常時であったため、これらが武家人口を含めた、あるいは武家人口を除いた真の江戸の人口であるとする解釈があるが、(1) 男女比が逆転している (2) 50年隔てた両年の人口や町数(新寺社地を併せて2770余町)、後述の計外人口の構成が酷似しているなど信頼性が低い。 その他の町方人口年月西暦総数男女出典享保6年11月 1721年 862,600 塩尻 天明6年 1786年 1,367,880 江戸旧事考2巻 (乙巳雑記) 天明6年10月 1,285,300 587,800 697,100 乙巳雑記 (合計は原文ママ) 天明6年10月28日 1,285,300 587,800 690,500 半日閑話 (合計は原文ママ) 天明7年5月 1787年 1,285,300 587,800 697,500 蜘蛛の糸 天保8年 1837年 1,284,815 587,810 697,005 江戸の女 天保8年10月 1,287,800 589,800 688,000 浮世の有様 (合計は原文ママ)
※この「その他、非常時の町方人口」の解説は、「江戸の人口」の解説の一部です。
「その他、非常時の町方人口」を含む「江戸の人口」の記事については、「江戸の人口」の概要を参照ください。
- その他、非常時の町方人口のページへのリンク