さろま
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/28 17:19 UTC 版)
さろま | |
---|---|
基本情報 | |
船種 | フェリー |
船籍 | ![]() |
所有者 | 近海郵船 カメリアライン ガーバン・ラインズ |
運用者 | 近海郵船 カメリアライン ガーバン・ラインズ |
建造所 | 内海造船瀬戸田工場 |
姉妹船 | ましう[1] |
建造費 | 約50億円[2] |
航行区域 | 近海[1] |
船級 | JG[1] |
IMO番号 | 7426033 |
改名 | さろま カメリア SUBIC BAY 1 |
経歴 | |
起工 | 1975年3月5日[1] |
進水 | 1975年7月11日[1] |
竣工 | 1975年11月14日[3][1] |
就航 | 1975年11月18日(近海郵船)[3] 1990年12月12日(カメリアライン)[4] |
要目 | |
総トン数 | 8,885 トン(竣工時)[3] 9,707 トン(カメリアライン時代)[5] |
載貨重量 | 3,875 重量トン[3] |
排水量 | 10,640 トン(満載時)[1] |
全長 | 166.5 m[3] |
垂線間長 | 155.0 m[3] |
幅 | 24.0 m[3] |
型幅 | 24.1 m[1] |
深さ | 9.7 m[3] |
満載喫水 | 6.3 m[3] |
機関方式 | ディーゼル |
主機関 | 三菱-MAN V8V40/54 2基[3] |
推進器 | 2軸[3] |
最大出力 | 19,700馬力(連続)[3] |
定格出力 | 16,740馬力[6] |
最大速力 | 25.0 ノット[3] |
航海速力 | 21.0 ノット(竣工時)[3] 21ノット(カメリアライン時代)[5] |
航続距離 | 4,490海里[1] |
旅客定員 | 445名(竣工時)[3] 628名(カメリアライン時代)[5] |
乗組員 | 55名(竣工時)[1] 45名(カメリアライン時代)[5] |
車両搭載数 | 8トントラック95台、乗用車75台(竣工時)[3] トラック111台・乗用車35台(車両甲板改造後)[7] |
さろまは、近海郵船が運航していたフェリー。その後、カメリアラインで日韓航路にも就航した。
概要
ましうに続く第三船として[2]、内海造船瀬戸田工場で建造され、1975年11月18日に東京 - 釧路航路に就航した[3]。
サブリナの就航に伴い1990年6月15日釧路発便をもって引退[8]、カメリアラインへ売却されかめりあとなり、国際航路に対応する改造を受け、1990年12月に博多 - 釜山に就航した[4][9]。
ニューかめりあの就航により、2004年6月14日で運航を終了した。
その後、海外売船され、フィリピンのガーバン・ラインズでSUBIC BAY 1として就航した。
就航航路
近海郵船
- 本船の就航により、3隻を使用した毎日運航となり、釧路港のバースも西港へ移転した[2]。その後、1977年にオイルショックの影響によりましうが売却され、以後は本船とまりもによる3日に2便の運航となった。
設計
![]() |
この節の加筆が望まれています。
|
旅客需給の状況から先に建造されたまりもと比較して旅客定員が削減されている。
国内のカーフェリーとしては初めてIBM製の航海システム装置を搭載[3]、System/7を中心に据えレーダー・ジャイロコンパス・速度計などの航海機器を接続し衝突予防分析・位置測定・航路保持・航路計画のプログラムを稼動させブリッジ内コンソールの円形スクリーンで表示させたものとした[10]。フィンスタビライザーにはブレーキ機能を搭載し停止性能を向上させた[6]。
1978年5月には日立造船神奈川工場で車両甲板の改装を行い、1977年の減便を受け車両輸送能力の是正を図るべく乗用車用のスペースの一部をトラック用に転換し13トントラック18台に対応するものとした[11]。
船室
- 近海郵船時代
- カメリアライン時代[5]
- Aデッキ
- マルチホール - 屋外デッキ部分を改装[9]。
- Bデッキ
- レストラン「セジュール」[9](108席)
- 特等室(2名×7室、1名・3名各2室)
- 1等室(和室9名×4室・12名×1室、洋室4名×8室・3名×6室)
- 案内所
- 免税店
- Cデッキ
- 2等室(マス席15名×4室、14名×3室、28・23・22名各2室、40・6・5名各1室、リクライニングシート175席) - 自動車区画を改装[9]
- コーヒーショップ
- 浴室
- ゲーム室
- 自販機コーナー
- カード・マージャンルーム
事故・インシデント
- 船底浸水
1978年2月27日午後3時頃、釧路港南西約23km沖を航行中、エンジン冷却水を取り入れる船底バルブに氷が詰まり除去作業を行っていた所バルブ操作を誤り海水が噴出、発電機2基が浸水し航行不能となり釧路市と地元海運業者のタグボートが曳航を行い午後8時に釧路港へ引き返した[14]。
- 貨物船衝突
1988年8月7日、8時6分ごろ、釧路港の第1埠頭西側7号岸壁へ接岸する際、同5号岸壁に接岸していた貨物船フォレスト・ソブリンに衝突した。衝突により本船は右舷船首部のブルワークとハンドレールを曲損、フォレスト・ソブリンは船尾部左舷外板に擦過傷を生じた。事故発生時、霧が出ており視程は約300mだった。また、くしろ港まつりの港内ヨットレース開催により航泊禁止区域が設定されるため、早着する予定だったこと、フォレスト・ソブリンが本船の着岸を待って出港する予定だったことから、本船は着岸を急いでいた。事故原因は、さろまの操船不適切とされた[15]。
脚注
- ^ a b c d e f g h i j 新造船写真集 自動車航送旅客船 さろま SAROMA 日本郵船株式会社 近海郵船株式会社 - 船の科学1975年12月号
- ^ a b c 毎日就航が可能カーフェリー第三船「さろま」入港釧路港 - 釧路新聞1975年11月21日
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 世界の艦船(1976年1月号,p150)
- ^ a b 経済日誌 12/12博多~釜山定期フェリー就航 - 福岡銀行調査月報1991年1月号(福岡銀行)
- ^ a b c d e 客船紹介定期船 カメリアライン株式会社かめりあ - マリンブルー・ファンタジー客船新時代の船旅(日本外航客船協会 1991年)
- ^ a b c d e f g h i j k l m 内海造船株式会社「長距離カーフェリー"さろま"」 - 船舶1976年3月号
- ^ 物流企業の一覧 中・長距離フェリー事業者 近海郵船(株) - 物流要覧1982下巻(カーゴ・ジャパン)299頁
- ^ 就航から15年地球を916周 見送り受けラスト航海カーフェリー「さろま」 - 釧路新聞1990年6月15日
- ^ a b c d 話題のフェリーかめりあに初乗り- Cruise 1991年3-4月号(海事プレス社)110-112頁
- ^ 日本アイ・ビー・エム「IBM舶用/航海システムを近海郵船フェリー"さろま"に搭載」 - 船の科学1975年12月号
- ^ 近海郵船の"さろま"がデッキを改造 - 世界の艦船1978年7月号
- ^ a b c d 市來清也「長距離フェリーの動向と課題」『流通問題研究』第18巻、流通経済大学、1991年10月、1-26頁、2018年5月14日閲覧。
- ^ a b c 郵船フェリーさろま客室配置図 - 近海郵船
- ^ カーフェリー浸水、航行不能 - 北海道新聞1978年2月28日朝刊
- ^ 函館地方海難審判庁 (17 August 1989). 平成元年函審第24号 旅客船さろま貨物船フォレスト・ソブリン衝突事件 (PDF) (Report). 海難審判・船舶事故調査協会. 2016年2月19日閲覧。
さろま
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 08:24 UTC 版)
1975年竣工。8,885総トン。全長166.5m。ましうと同型船。 定員563名。内海造船瀬戸田工場製造。 東京 - 釧路航路に就航。1990年カメリアラインへ売却。
※この「さろま」の解説は、「近海郵船」の解説の一部です。
「さろま」を含む「近海郵船」の記事については、「近海郵船」の概要を参照ください。
- さろまのページへのリンク