されど私の人生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/26 18:54 UTC 版)
| 「されど私の人生」 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 斉藤哲夫 の シングル | ||||
| B面 | われわれは | |||
| リリース | ||||
| 規格 | 
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| 録音 | 東京スタジオ・第3スタジオ 1970年11月28日 | |||
| ジャンル | フォークソング | |||
| 時間 | ||||
| レーベル | URCレコード | |||
| 作詞・作曲 | 斉藤哲夫 | |||
| プロデュース | 秦政明 | |||
| 斉藤哲夫 シングル 年表 | ||||
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「されど私の人生」(されどわたしのじんせい)は、日本のシンガーソングライターである斉藤哲夫の楽曲。自身の2枚目となるシングルとして、1971年2月5日にURCレコードからリリースされた。
制作
表題曲である「されど私の人生」は、柴田翔の中編小説『されどわれらが日々―』からアイデアを得て制作された[1]。当時竹中労と関わりがあった頃で、その影響を受けている。
コード進行は、ビートルズの「レット・イット・ビー」が元になっている[1]。
レコーディングには、鈴木慶一が参加している。経緯として、親交のあったあがた森魚から「ギターもベースもピアノもできる、使ってみない?」と紹介されたことから参加したという[1]。
吉田拓郎によるカバー
シンガーソングライターの吉田拓郎(当時はよしだたくろう)は、1971年にリリースしたライブ・アルバム『よしだたくろう オン・ステージ ともだち』で、表題曲をカバーした。当時はライブで披露されることが多かったため、拓郎本人が作った曲と勘違いするファンがいたという。
カバーされた経緯として、広島フォーク村の村長で、当時泉谷しげるのマネージャーだった伊藤明夫から「うちの拓郎があなたの歌を唄いたいって。許可してください」ということで、カバーされることになった[1]。このことにより、当初は「拓郎に歌われちゃったよ。いいんだか、悪いんだかなぁ」と言っていたが、斉藤の元には印税が入ってくることになり、なぎら健壱に「いやぁー、なぎら驚いたなぁ。印税がガバガバ入ってくるんだよ、たった1曲で。ホント助かっちゃった。それほど売れてるんだなぁ、あいつらは。いいなぁ」と話したという[2]。
拓郎からは「何を言いたいのかよくわからない」と言われたという[1]。
収録曲
| 全作曲: 斉藤哲夫。 | |||
| # | タイトル | 作詞 | 時間 | 
|---|---|---|---|
| 1. | 「されど私の人生」 | 斉藤哲夫 | |
| 2. | 「われわれは」 | 今村克己 | |
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       合計時間:
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クレジット
ミュージシャン
スタッフ
カバー
| 曲名 | 収録作品(初出のみ) | 発売日 | 規格品番 | 備考 | 
|---|---|---|---|---|
| されど私の人生 | 『よしだたくろう オン・ステージ ともだち』 | 1971年6月7日 | ELEC-2002 | 東京厚生年金会館で行われたコンサートの模様を収録したライブ・アルバム | 
関連項目
脚注
出典
- されど私の人生のページへのリンク

 
                             
                    


