かつての準快速
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 02:51 UTC 版)
この列車の前身としては、1958年 - 1965年に運行された準快速・快速が挙げられる。 前者は、当初準急Aと称されたが、これには長距離運行を前提としたセミクロスシート改造車であるモハ3210形・クハ250形が使用され、後者には急行用とされたモハ5310形・モハ5320形・5800形が使用されたとされる。そのため、停車駅・運用法などで変化させていたが、ともに車両の陳腐化などにより、6000系の快速列車へ移行した。 ただし、夏期など繁忙期には前述の専用車両では所定の運用ができず、戦前製造のデッカー車のうち、長距離運用に整備がされていないロングシート車両が使用されたとされる。このあたりは、後年前記の快速に8000系を使用するものに通ずるが、8000系の場合列車便所こそないものの座席としてはそれなりに座り心地がよく使用することができたとされる。また、中には荷物室合造車が連結されることがあったといわれる。 準快速列車の停車駅は浅草駅・北千住駅・春日部駅・杉戸駅(現・東武動物公園駅)・新大平下駅(一部列車のみ停車)・栃木駅からは各駅停車であった。2013年3月16日改正ダイヤでの区間快速停車駅とほぼ同じである。 「準快速」の名称は廃止後、九州旅客鉄道(JR九州)が2004年に採用するまで、日本では使用されなかった。
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