いしづち (フェリー)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/04 01:19 UTC 版)
| いしづち | |
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Lastovo時代
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| 基本情報 | |
| 船籍 | |
| 建造所 | 高知重工 |
| 姉妹船 | せとうち |
| 航行区域 | 沿海 |
| 信号符字 | 9A2179 |
| IMO番号 | 7010717 |
| MMSI番号 | 238113840 |
| 改名 | いしづち Partizanka Lastovo 1 Lastovo |
| 経歴 | |
| 就航 | 1970年(昭和45年)3月8日 |
| その後 | 九州郵船にチャーター後、旧ユーゴスラビアへ売却 |
| 現況 | クロアチアで運航 |
| 要目 | |
| 総トン数 | 946.62トン |
| 全長 | 72.7 m |
| 全幅 | 13.6 m |
| 主機関 | ダイハツディーゼル 1,700馬力 2基 |
| 最大速力 | 17ノット |
| 航海速力 | 16ノット |
| 旅客定員 | 500名 |
| 乗組員 | 26名 |
| 車両搭載数 | 8トン車換算27台 |
| ※ 要目データは、総トン数以外は全て姉妹船「せとうち」のものを引用 | |
いしづちはかつて四国中央フェリーボート(バンパックフェリー)が運航していたフェリー。愛媛県川之江市(現・四国中央市)の川之江港から兵庫県神戸市の神戸港(東神戸フェリーセンター)を結ぶ航路に就航していた。
概要
高知重工で建造され、バンパックフェリーの第一船として1970年(昭和45年)3月8日の開業時に就航。1973年(昭和48年)に機関室からの火災による沈没事故を起こした「せとうち」とは姉妹船。航路開業期において昼夜問わず稼働して輸送を支えていたが、利用客の漸増により供給力不足に陥るように[1]なっていた。やがて新造された「かわのえ」「にいはま」との能力差から引退[2]し、1976年(昭和51年)4月から1977年(昭和52年)10月まで九州郵船にチャーターに出されていた[2]。その後、1978年(昭和53年)4月15日に旧ユーゴスラビアへ売却[2]。
1978年売却当時の船名は「Partizanka」で、同年さらに「Lastovo 1」と改名された[2]。1993年(平成5年)8月15日にエンジンルームからの火災事故を起こしひどく損傷したため解体が検討されたが、結局エンジンを交換し使用継続されることとなった。1998年(平成10年)には「Lastovo」と改名され、2021年(令和3年)現在もクロアチアの海運会社ヤドロリニヤ(クロアチア語: Jadrolinija)においてクロアチア本土とアドリア海のダルマチア諸島を結ぶ[3]航路で活躍中。
船内
船室
- 特二等 100名
- 二等 400名
旅客定員 計500名
参考文献
- 船の科学Vol.46(1993年6月号)船のスケッチ画集(58)国内フェリー乗船記「四国中央フェリー(2)」小林義秀 p.77 - 78 船舶技術協会 日本船舶海洋工学会 デジタル造船資料館
- 旅客船No.87(1970年8月号)p.8. 新船紹介「せとうち」
脚注
外部リンク
- MarineTraffic.com - LASTOVO - 自動船舶識別装置(AIS)による現在位置表示
- Jadrolinija webpage (クロアチア語)(英語)(イタリア語)(ドイツ語)
- いしづち_(フェリー)のページへのリンク