『私も要求する Yo Tambien Exijo』(2014 - 2015)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 09:06 UTC 版)
「タニア・ブルゲラ」の記事における「『私も要求する Yo Tambien Exijo』(2014 - 2015)」の解説
ハバナのプラザ・デ・ラ・レボルシオン広場(Revolution Square)での公開パフォーマンスを組織したとして、タニアは2014年12月から2015年1月までの間、三度に渡り逮捕と釈放がされた。タニアは『私も要求する Yo Tambien Exijo』キャンペーンに参加した幾人かのキューバのアーティスト、アクティビスト、ブロガー、ジャーナリストと共に拘束された。キャンペーンは2014年12月17日にラウル・カストロとバラク・オバマが、50年にわたる敵対的関係に終止符を打つ可能性のある、外交関係の回復についての宣言後に始まった。タニアは、キューバの人々に自分の考えを自由に述べられるようにオープンマイクを設置した公開パフォーマンス後の12月30日の火曜日に初めて逮捕された。『タトリンのささやき #6 - ハバナ・バージョン Tatlin’s wisper #6 – Havana Version』と題された公開パフォーマンスは、すでに2009年に第10回ハバナ・ビエンナーレで公演されているものだった。『タトリンのささやき #5 Tatlin's Whisper #5』(2008)が行われたテート・モダンのタービン・ホールには騎馬警官が向かい合い、暴動の始まりを挫かせようと立ち塞いでいるようだった。 イベントにおけるタニアのアクションはメディアによって賛同と反対の報道が広範囲でされ、世界中から1,000人を超すタニアを支持する署名入りの公開レターがラウル・カストロ宛に送られた。レターには「私たちはタニアのキューバのパスポート没収と勾留は、公共の話し合いのためにオープンスペースを率直に開こうとしたタニアのアート作品の応答にふさわしいものではないと確信している」と書かれていた。その後、政府はタニアを6ヶ月拘束した後の2015年7月10日にタニアを釈放しキューバのパスポートを返還した。 2015年12月、タニアは再びキューバに戻る可能性を公表した。タニアは勾留中に以下の2つの条件について同意しただけだと話した;1つ目はプラザ・デ・ラ・レボルシオン広場での公開パフォーマンスを中断した後に拘束した協力者たちを解放すること、2つ目は政府が捺印し保証したタニアがキューバに戻れるという文書を政府から受け取ること。
※この「『私も要求する Yo Tambien Exijo』(2014 - 2015)」の解説は、「タニア・ブルゲラ」の解説の一部です。
「『私も要求する Yo Tambien Exijo』(2014 - 2015)」を含む「タニア・ブルゲラ」の記事については、「タニア・ブルゲラ」の概要を参照ください。
- 『私も要求する Yo Tambien Exijo』のページへのリンク