『女人国明野夢』
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寛永15年(1638年)1月。島原の乱の最中、森宗意の部下・一木(いちぼく)開十郎は、砦にこもって、幕府に味方するオランダ船の砲撃に対峙していた。味方の死体を回収しようとした開十郎は、温泉岳の人穴に落ちてしまう。洞穴の中で、開十郎は一冊の左綴本を発見する。そこには、「保羅(パウロ)創教之次第」と題する、次のような物語が書かれていた。
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『女人国明野夢』(つづき)
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開十郎が本を読み終えたとき、うら若い女が現れ、本の秘密を告げた。寛永元年(1624年)、キリシタンの男女からなる一団が、迫害を逃れようとして、羅馬(ローマ)の地下宕(カタコムブ)の例にならい、人穴に隠れ住むことになった。ところが、いつしか女たちは、信仰のすぐれたものは処女懐胎をするという狂信にとりつかれ、男たちとの間にいさかいが生じた。男たちは妄信を覚まそうとしてひとつの物語を作ったが、女たちはそれに耳を貸さず、あるとき、男たちを硫黄孔の中に塗りこめてしまった。以後、この人穴は女人国と化していたのである。だが、女たちもその後、新しい硫黄孔に塞がれてしまい、女人国は滅んでいた。
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