『源内焼六術和尚』
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「源内焼六術和尚」の記事における「『源内焼六術和尚』」の解説
天明元年(1781年)正月4日、例年恒例の浮世絵師読み本ものの腕比べが催され、礒田湖龍斎、恋川春町、春章らが集まった。しかし、前年にその席で「来年の春には、『女人国明野夢』を書く」と宣言した平賀源内はその場にいない。安永8年(1779年)11月、殺人事件を起こして投獄されたからである。松平伊豆守殿別邸の修理工事の費用をめぐって、出入り職人の久五郎が源内の作った算勘書(みつもりしょ)を盗んだのではないか、と口論になり、久五郎を殺傷してしまったのだ。もし算勘書が源内宅以外の場所から見つかれば、罪は軽くなるはずなのである。
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