『地蔵寺開闢伝』とは? わかりやすく解説

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『地蔵寺開闢伝』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:41 UTC 版)

だんぶり長者」の記事における「『地蔵寺開闢伝』」の解説

『地蔵寺開闢伝』は1803年享和3年4月24日書かれ岩手県八幡平市沢口曹洞宗寺院である地蔵寺縁起であり、当時住職である見和尚によって書かれたものである地蔵寺だんぶり長者屋敷跡近く当時民衆に伝わる伝説記録されていて、上記現代伝説幾つか記録されている。送られた物は伊達郡の人からは黄金のふきしめ百鎰、比内郡の人たちから孔雀石階上郡の人たちから水漆杯、津軽郡の人たちから合浦の珠、名久井の里からは摺墨名馬と言って角が一本生えている名馬加えて樺太からは韃靼の錦が送られて来たと書いている。米の研ぎ汁川下白く濁り、それが米代川の名の元になったことも書いている。4人の優れた能力を持つ召使いの話も書かれているが「天狗」とは記載されていない。 見和尚長者屋敷跡を訪ねて「これを見るに誠に思いがけず荒れ果てた有様だ。樹木無く川岸崩落して泉の跡すら見分けられない地形はなはだ狭く豪邸があった故地とも思えない寂寥沢辺だけである」とし、だんぶり長者山野開拓したために長者呼ばれたではないかとし、娘の入内によって長者号を得たことも荒唐無稽だとして一蹴している。 この本の翻刻をした阿部幹男は、『だんぶり長者』はおそらく『法妙童子』や『まつら長者』(『竹生島本地』)などの影響受けて成立したものと考えらるとし、たとえば室町時代小説集である『法妙童子』の冒頭部には「…ここに長者一人はします、名をばたんひり長者と申ける」とあり「だんぶり長者」はこの長者名を引用したものと考えられるとしている。

※この「『地蔵寺開闢伝』」の解説は、「だんぶり長者」の解説の一部です。
「『地蔵寺開闢伝』」を含む「だんぶり長者」の記事については、「だんぶり長者」の概要を参照ください。

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