『初期のRCサクセション』 〜 『楽しい夕に』 (アコースティック期)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 03:41 UTC 版)
「RCサクセション」の記事における「『初期のRCサクセション』 〜 『楽しい夕に』 (アコースティック期)」の解説
1stアルバム『初期のRCサクセション』は、最終的なマスタリング作業にメンバーが立ち会わせて貰えず、完成したレコードの音源に自分たちの意図しない勝手なアレンジが施されていたために不満を感じる。そのため2ndからは自分たちの演奏を主体としたレコード作りを始め、後年まで外部プロデューサーの介入を避けるようになる。 1970年代初期の未発表ライブ音源が『ロック画報2002年第10号』の付録CDに収録。曲は「つまらない仕事」「ぼくとあの娘」「忙しすぎたから」「内気な性格」「もっと何とかならないの?」「ぼくの自転車のうしろに乗りなよ」6曲。選曲は清志郎が行い、マスタリングに清志郎と破廉が立ち会った。 忌野の高校の同級生である俳優の三浦友和は、『初期のRCサクセション』に収録の「言論の自由」にボンゴで参加。三浦はステージによく加わることがあり、また一時期破廉と同居するなどかなりRCと親交が深かった。 忌野が作詞・作曲した「指輪をはめたい」を元にして、井上陽水と「帰れない二人」を共作。もう1曲「待ちぼうけ」を共作、この2曲が収録された陽水のアルバム『氷の世界』(1973年) が日本音楽史上初のミリオンセラーLPとなる。 1974年、ホリプロの奥田義行が、当時大ブレイク中だった陽水を連れホリプロを離れ、独立事務所「りぼん」を設立。この造反行為に激怒したホリプロは、奥田の子飼いだったRCの「りぼん」移籍を阻止。RCはスタッフも仕事も与えられず飼い殺し状態となる。 この頃、3rdアルバム『シングル・マン』を録音するも、事務所の移籍トラブルによりお蔵入りになる。
※この「『初期のRCサクセション』 〜 『楽しい夕に』 (アコースティック期)」の解説は、「RCサクセション」の解説の一部です。
「『初期のRCサクセション』 〜 『楽しい夕に』 (アコースティック期)」を含む「RCサクセション」の記事については、「RCサクセション」の概要を参照ください。
- 『初期のRCサクセション』 〜 『楽しい夕に』のページへのリンク