「A50キャラバン」の派遣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/08 05:50 UTC 版)
「サンフランシスコ平和条約締結50周年記念A50事業」の記事における「「A50キャラバン」の派遣」の解説
日米間の草の根交流を目的とする日本人代表3人一組(三世代より)の15チーム、計45名を米国36都市に派遣。
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「サンフランシスコ平和条約締結50周年記念A50事業」の記事における「「A50キャラバン」の派遣」の解説
この事業の目的は、米国各地においてA50の趣旨を伝え相互の信頼を深めることにあった。キャラバンは各チーム20 - 30代、40 - 50代、60代以上の3名で構成され、全米35か所で各種の交流行事に参加。具体的なプログラムの企画は(財団法人日本国際交流センター)が担当し、米国側はNational Association of Japan-America Societies, Inc.(NAJAS)を中心とした諸団体の協力を得た。キャラバンチームは2001年9月8日の東京式典に出席した後、直ちにサンフランシスコに向け出発し、ワシントンD.C.において合流し、様々な行事が計画されていた。しかしあのアメリカ同時多発テロの悲劇により、キャラバン活動は中断され各自帰国の途についた。なおA50キャラバン報告は(財)日本国際交流センターの編集協力によりまとめられた。 なおA50に関する一連の資料は、東京大学大学院総合文化研究科グローバル地域研究機構に日米民間外交に関する資料として寄贈された。内容は日米各界からの賛同メールや諸企画資料、44回にも及ぶ準備会議の議事録、そして入出金伝票など、段ボール6箱分に及んだ。
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