「6・10デモ」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 16:18 UTC 版)
こうして、政府への不満と民主化を求める声が高まりを見せる中、国民運動本部は「朴鍾哲君拷問殺害の捏造・隠蔽糾弾と護憲撤廃国民大会」を与党・民主正義党の大統領候補を決定するための全党大会が行われた6月10日に合わせて開催した。無論、政府側は6万名余りの武装警察官を動員して会場を封鎖、国民運動本部の幹部を自宅軟禁にするなどして妨害したが、全国18都市でデモが発生、ソウル市中心部の明洞では警察に追われたデモ隊が明洞聖堂に籠城(15日まで)し、大学生やサラリーマンによる支援デモが聖堂の外で繰り広げられた。6・10デモの前日9日には、延世大学校学生の李韓烈(当時20歳、経営学科2年生)が戦闘警察が放った催涙弾の直撃を受けて重体となる事件が発生(7月5日に死亡)。催涙弾の乱射に対する抗議デモが全国各都市に拡大すると、国民運動本部は18日を「催涙弾追放の日」として大々的に運動を展開し、全国14都市で24万名がデモに参加、ソウル市では戦闘警察の一部が武装解除され、釜山でも市中心部の幹線道路が約4キロ余りにわたってデモ隊に占拠された。そして翌19日には全国79大学でデモが発生、20日夜には光州で20万人以上が参加するなど、デモは全国各都市に拡大した。
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