「長篠戦役図」「狩野」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 03:44 UTC 版)
「徳川家康三方ヶ原戦役画像」の記事における「「長篠戦役図」「狩野」」の解説
1880年(明治13年)7月に作成された尾張徳川家の財産目録『御器物目録』では、本図について、『東照宮尊影』の名称に『長篠戦役陣中小具足着用之像』との副題が付されており、元外箱に付されていた「家康公長篠戦役小具足着用之像」の貼紙も、この目録作成までの什宝整理の過程で貼付されたと考えられている。また同目録では、製作者について「画工不詳」との記載が、「狩野」と朱書きされていた。 副題は、目録中に『東照宮尊影』という名称の図が5点存在することから、各図を識別するために付記されたと考えられているが、「長篠」と題された理由は不明で、原は、5点の家康の肖像画のうち、本図と『徳川家康長久手戦陣中画像』と伝えられている肖像画には徳川16将が描かれておらず、またどちらも家康の武装姿を描いていたことから、両図を区別するために、現存する『長篠・長久手合戦図屏風』 になぞらえて、それぞれ「長篠」「長久手」の名称を割当てたのではないか、と推測し、命名に史料的根拠はないと考えられる、としている。 その後、1893年(明治26年)に作成された世襲財産付属物の目録『御世襲財産付属物目録 甲の部』においても、本図は「徳川家康長篠戦役陣中小具足着用床机ニ倚ル密画彩色ノ像」と記され、「長篠戦役」の図とする説明が踏襲された。
※この「「長篠戦役図」「狩野」」の解説は、「徳川家康三方ヶ原戦役画像」の解説の一部です。
「「長篠戦役図」「狩野」」を含む「徳川家康三方ヶ原戦役画像」の記事については、「徳川家康三方ヶ原戦役画像」の概要を参照ください。
- 「長篠戦役図」「狩野」のページへのリンク