「美しく見せるもの」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 00:22 UTC 版)
「ヒッピアス (大)」の記事における「「美しく見せるもの」」の解説
17. ソクラテスは、それでは切り口を変えて、先の「黄金」の話以来出てきている、「ふさわしいもの」の本性を通して「美」を調べてみたらどうかと提案。ヒッピアスも、受け入れる。ソクラテスは、ではこの場合の「ふさわしいもの」とは、それがそなわる対象を「美しく見せるもの」なのか、「美しくあらしめるもの」なのか問う。ヒッピアスは、「美しく見せるもの」だと答える。ちょうど似合う着物や靴を身に付けた人がより美しく見えるように。ソクラテスは、しかしそれでは対象を相対的に美しく見えさせるだけであって、その対象自体が美しくなっているわけではないのだから、やはり後者の「美しくあらしめるもの」こそを考察せねばならないと指摘。ヒッピアスは、しかし「ふさわしいもの」がそなわれば、「美しくあらしめ」もするし、「美しく見せ」もするのだから、区別する必要は無いのではないかと指摘。ソクラテスは、「美しくある」ものが「美しく見えない」ことは決して無いのか問う。ヒッピアスは、無いと答える。 18. ソクラテスは、それでは「美しくある」ものは、常に法習やあらゆる営みにおいても、またあらゆる人々においても、「美しく見える」ものなのか、それとも逆に、人々はそれに無知であり、個人間でも集団間でも対立があるのか問う。ヒッピアスは、どちらかと言えば後者だと答える。ソクラテスは、それでは先の意見と矛盾すると指摘。ヒッピアスは、あくまでも「美しく見える」という立場に固執し、1人でしばらく考察してみれば、正確にそれを言ってあげられるのにと悔しがる。
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