「純学理」の研究へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 05:31 UTC 版)
以上のような事情から発足当初の学会は、学外の政治家・官僚との結びつきが強く、会員には学者・大学教官のみならず、伊藤のほか大隈重信・井上馨・井上毅・渋沢栄一など「国家学専門ノ名士ニシテ本会ノ目的ヲ協賛スル」学外著名人も含まれていた。この結果として学会内には、運営について憲法を中心とする国家学・ドイツ学の啓蒙普及を重視する一派と、それに反対し「純学理」を重んじる一派が存在していた。しかし次第に後者のグループ(小野塚喜平次ら)が大勢を占めるようになり、国家学会は東大法科(法学部)内部の公法学・政治学・経済学の研究者団体(その後さらに経済学プロパーの団体として社会政策学会が分化)に純化した。1943年に財団法人化し現在に至っている。
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