「純粋民主主義」か、プロレタリア民主主義か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 07:23 UTC 版)
「プロレタリア革命と背教者カウツキー」の記事における「「純粋民主主義」か、プロレタリア民主主義か」の解説
カウツキーは、ボリシェヴィキとメンシェヴィキの対立を「民主主義的方法と独裁的方法との対立」と捉え、自由主義者的にブルジョア民主主義を民主主義一般として美化している。独裁を「どんな法律にも拘束されない一個人の独裁政治」と規定したのは正しくない。「プロレタリアートの革命的独裁は、ブルジョアジーにたいするプロレタリアートの暴力によってたたかいとられ維持される権力であり、どんな法律にも拘束されない権力である」。プロレタリアートの独裁というマルクスの言葉は文字どおりの意味ではなく、民主主義のもとで多数者を平和的に獲得することを意味する、というカウツキーの主張は、暴力革命を否定するものにほかならない。 歴史上存在するのは「民主主義」一般ではなく、ブルジョア民主主義とプロレタリア民主主義であった。プロレタリア民主主義は大衆の統治への参加や実質的な集会・出版の自由の実現をもたらす。 ブルジョア民主主義のもとでは資本家は、何千というトリックで〔……〕大衆を統治への参加からおしのけ、集会・出版の自由などからおしのける。ソヴェト権力は、世界ではじめて〔……〕大衆を、すなわち被搾取大衆を、統治に参加させている。〔……〕印刷所と紙がブルジョアジーから没収されているから、出版の自由は偽善ではなくなっている。りっぱな建物、宮殿、邸宅、地主の家についても同様である。ソヴェト権力は、こういうりっぱな建物を何千となく搾取者から一挙に取りあげた。そしてこうして大衆のために集会の権利を〔……〕百万倍も「民主主義的」なものにしたのである。 プロレタリア民主主義からブルジョアジーは除外しなければならない。ブルジョア民主主義的な形式的平等は、搾取が廃絶されるまで事実上の平等に転化しない。しばらく優越性を保つブルジョアジーの革命に対する抵抗を抑えなければならない。
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