「現代のジャーヒリーヤ」・ジャーヒリーヤ論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/21 02:28 UTC 版)
「ジャーヒリーヤ」の記事における「「現代のジャーヒリーヤ」・ジャーヒリーヤ論」の解説
ムスリム同胞団のイスラム原理主義活動家サイイド・クトゥブは、1964年に出版された著書「道標」(en)の中で「ジャーヒリーヤ論」を展開している。この中で、彼は当時の世界を「真のイスラーム社会」と「ジャーヒリーヤ社会」に区分し、前者を「信仰、法律、儀礼がイスラーム法への完全な隷属関係にある社会」、後者を「共産主義社会(ソ連、中国など)、異教社会(日本、インドなど)、ユダヤ教・キリスト教社会(欧米、イスラエルなど)、およびイスラームを自称する(実は専制支配の)社会」と述べた。「自称イスラーム社会」については、当時のエジプト政府を念頭に置いたものと見られるが、同書は「イスラーム社会以外の社会は、すべてジャーヒリーヤ社会である」と指摘している。この考え方に従えば、民主主義国はもちろんムスリムが国民の多くをしめる国やイスラーム共和国であっても、イスラーム法を完全に施行していない社会はすべてジャーヒリーヤ社会であり、つまり全世界はジャーヒリーヤに覆われていることになる。この理論はアブル・アラー・マウドゥーディー(en)の影響を受けたものであった。 このジャーヒリーヤ論は当然のごとくエジプト当局から警戒され、またシャリーアの権威たるアル=アズハル大学からも非難を受けた。 ジハード団のムハンマド・ファラジュ(英語版)はジャーヒリーヤ論をさらに押し進め、パンフレット" الفريضة الغائبة "(英語: neglected obligation)で"Islamic-fascism"と呼ばれる理論を展開し、その後多くのイスラム過激派(原理主義)に受けつがれ、これら原理主義過激派を理論面で支える柱の一つになった。
※この「「現代のジャーヒリーヤ」・ジャーヒリーヤ論」の解説は、「ジャーヒリーヤ」の解説の一部です。
「「現代のジャーヒリーヤ」・ジャーヒリーヤ論」を含む「ジャーヒリーヤ」の記事については、「ジャーヒリーヤ」の概要を参照ください。
- 「現代のジャーヒリーヤ」ジャーヒリーヤ論のページへのリンク