「森の小人」の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/03 08:33 UTC 版)
戦後になり、本作品には戦争協力の言辞がない点から、引き続き子ども向けの楽曲としてレコード等に使用されようとしたが、そこにGHQの民間情報教育局から、土人の表現が差別的である、とした注告が入り、そのままでは発売できない状態になる。柳井の後任のディレクターとなった山田律夫は、山川清の名義で歌詞中の表現を、椰子⇒森、パラオ島⇒夢の国、土人⇒小人、といった手順で改作し、題名も森の小人に改める。しかし、「土人のお祭り」の作詞者玉木登美夫(金谷完治)は既に1946年(昭和21年)1月5日に死去しており、山田は前ディレクターの柳井に了解を得るしかなかったため、一時は「土人のお祭り」の作詞者玉木登美夫と作詞させたディレクターの柳井堯夫が同一人物と誤解されることもあった。 歌詞を一部改変のうえ改題されたこの曲は1947年(昭和22年)12月、日本劇場にて佐藤恵子の歌にて発表されると一躍人気を得て、レコードやラジオを通じて広く一般に知られるようになる。
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