「慰安所」の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:14 UTC 版)
1930年頃、日本は公娼制度を維持していたが、中華民国は上海租界の公娼廃止に向かっていて、租界の中で日本領事館は表向きは料理店における“酌婦”という名目で公娼制度を維持していた。1932年の上海事変の際に駐屯する日本軍が増えたため、海軍によって、貸座敷(売春施設)を軍専用とする形で設置された「海軍慰安所」というものが慰安所の始まりと言われ、陸軍もこれを参考にしたと言われている。[要出典] 1932年、第一次上海事変が起きる。上海事変から南京攻略を終えた1937年末までに、日本兵による強姦が頻発したため、その防止に向け慰安所が設置されたといわれる。この時期は民間の経営による民間客と兼用の慰安所・風俗売春店が多く、長崎の女性達がだまされ帰りの旅費がないためにそのまま就業したという事件も起きている。
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