「印象派」という名称
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「第1回印象派展」の記事における「「印象派」という名称」の解説
1874年4月25日、批評家のルイ・ルロワが、フランスの風刺新聞「ル・シャリヴァリ(フランス語版)」にて、皮肉をこめて「印象派の展覧会」と題した批評文を書いた。ルロワと同じくベルタンの弟子であるジョゼフ・ヴァンダン(アカデミズム絵画の画家)との対話形式の戯文で、第1回展の作品を酷評した。作品を批判する上で、展覧会に出品した画家たちとその作品を「印象派」、「印象主義」と呼称した。 ― "始めのうちは、彼の怒りは穏やかだった。印象主義の視点を考慮して、彼らの見方に合わせてさえいたのだ。" ― "印象かぁー。確かにわしもそう思った。わしも印象を受けたんだから。つまり、その印象が描かれているというわけだなぁー。だが、何という放漫、何といういい加減さだ! この海の絵よりも作りかけの壁紙の方が、まだよく出来ている位だ。" この「印象派」という言葉は、モネの「印象、日の出」に由来しているが、他の批評文においてもこの呼称が採用される。この作品の題名にしても、ルノワールの弟エドモンが単に「日の出」では物足りないと言ったところから後で付け加えられた言葉が「印象」なのであった。 美術評論家のジュール=アントワーヌ・カスタニャリは「ル・シエクル(フランス語版)」紙に掲載された「カピュシーヌ大通りの展覧会(Exposition du boulevard des Capucines)」の中で、 一言で彼らの努力の特徴をいうには、『印象派の画家たち』という新しい言葉を造らなければならないだろう。彼らは、風景を表現しているのではなく、風景から得られる感覚を表現しているという意味において、印象派の画家といえるのである。 と記述している。このように美術評論家の批評文において「印象派」という呼び名が生まれ、同時にこの新たな言葉は一般大衆にも浸透していった。
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