「人間の盾」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 04:41 UTC 版)
さらにイラクは8月18日に、クウェートから脱出できなかった外国人を自国内に強制連行し「人間の盾」として人質にすると国際社会に発表し、その後日本やドイツ、アメリカやイギリスなどの非イスラム国家でアメリカと関係の深い国の民間人を、自国内の軍事施設や政府施設などに「人間の盾」として監禁した。 なおこの中には、クウェートに在住している外国人のみならず、日本航空やブリティッシュ・エアウェイズの乗客や乗務員など、イラク軍による侵攻時に一時的にクウェートにいた外国人も含まれていた。この非人道的な行為は世界各国から大きな批判を浴び、のちにイラク政府は、アントニオ猪木が訪問した後に開放した日本人人質41人など、小出しに人質の解放を行い、その後多国籍軍との開戦直前の12月に全員が解放された。 だが、その後もイラクはクウェートの占領を継続し、国連の度重なる撤退勧告をも無視したため、11月29日、国連安保理は翌1991年1月15日を撤退期限とした決議678(いわゆる「対イラク武力行使容認決議」)を採択した。
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