「三成聖者」の起源
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11世紀のコンスタンディヌーポリにおいて、三人の主教達の中で誰が最も偉大かという論争が生じた。ある者は大ワシリイをキリスト教信仰と修道の規範の教えから最も優れたものと主張した。金口イオアンの支持者は、「金口」(きんこう、ギリシャ語で"Χρυσόστομος":フリソストモス…説教が素晴らしい事に由来する称号)コンスタンディヌーポリ大主教は、罪人に悔改(かいかい)をもたらした事と雄弁さによって比類ないとした。三つ目の集団は、大ワシリイの親友であった神学者グリゴリイは、アリウス派に対する論駁と信仰の防衛における権威と純度と深遠さにおいてより優れているとした。三人の祭日は一月において分かれており、大ワシリイは1月1日、グリゴリイは1月25日、金口イオアンは1月27日に祝われていた(日付はいずれもユリウス暦)。東方教会においては、1084年、エウカイタの主教聖イオアン(イオアンニス・マウロプス)に三成聖者が共に現れ、三人が神の前に等しい事を説き、「我等に分かるるところ無く、互いに反するところ無し」と述べたと言われる。この出来事により1100年頃、東ローマ帝国皇帝アレクシオス1世コムネノスの治世下で、1月30日が三成聖者全員を記憶する祭日として定められた。
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