「プトゥン仮説」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/11 00:16 UTC 版)
エリック・トンプソンは、1970年に著した『マヤ文明の興亡』で、後古典期後期のアカラン地方のチョンタル人こそ、メキシコ的ないし、非古典期的な要素をチチェン・イッツァなどにみられるユカタン半島北部の建造物や美術様式に持ち込んだ人々であったとするいわゆる「プトゥン仮説」をとなえた。ユカタン北部のコスメル島の対岸にあるポーレ(P’ole)の港を経由して紀元918年からユカタンに侵入したイツァ族とは、チョンタル人の一派であり、かれらは、最終的にはチチェン・イッツァを占領し、その支配権を握ることによって、ユカタン北部、メキシコ湾岸、メキシコ中央高原を結ぶ交易ネットワークの支配体制が確立し、カンペチェ州の南西部にあるイツァ族の同族と接触を維持し続ける基地とした。それゆえにトゥーラ・シココティトランから亡命したケツァルコアトル=ククルカンを崇拝するグループが、紀元987年ごろに、チチェン・イッツァに訪れて、本拠とすることができ、その結果として、同時期のチチェン・イッツァ建てられた建造物やレリーフの様式にメキシコ中央高原の強い影響がもたらされたとした。このような「プトゥン仮説」は、チチェン・イッツァの支配者の属性や、チチェン・イッツァとイダルゴ州トゥーラの建築、美術様式の類似性を説明しようとした仮説であり、学界のみならず、一般にも強い影響力をもたらした。
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