「プラエトリアニ」の先駆け
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「プラエトリアニ」の記事における「「プラエトリアニ」の先駆け」の解説
praetoriani は、プラエトル(法務官)の天幕を表す「プラエトリウム」(praetorium)に由来する。ローマ軍団の司令官は各階級の兵士から自分たちの護衛兵を選抜するのが慣習となっており、少なくとも紀元前275年頃にはスキピオ家の者がそのようにしていたのが記録に見られる。 護衛兵は歩兵および騎兵から構成されていた。そのうちに大隊(コホルス)単位と編成が大きくなり、いつしか「プラエトルの部隊」(cohors praetoria)と呼ばれるようになった。共和政末期になると指揮官は、単なる警護部隊ではなく軍団単位としての精鋭部隊を持っているのが通常となる。特にガイウス・ユリウス・カエサルは第10軍団エクェストリスに自らが直率する精鋭部隊としての名誉を与え、ガリア戦争やローマ内戦を通じ、強靱な部隊として有効活用した。
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