「フジ」の出現とキョクトー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/09/15 15:00 UTC 版)
「キョクトー」の記事における「「フジ」の出現とキョクトー」の解説
1979年、オートレース競走車用エンジン市場に国産第4のメーカーとしてHKSが新規参入し、同年フジの1級車単気筒エンジン(HT600型)を発表した。このエンジンはオートレース初のDOHC4バルブ機構のエンジンであった。キョクトーをはじめとする既存の1級車単気筒エンジンは全てSOHC2バルブ機構であったため性能差は歴然としており、わずか1年程でフジは1級車単気筒エンジンの市場をほぼ独占するに至り、トライアンフからも乗り換える選手が現れるほどの一大旋風を巻き起こした。これに危機感を募らせた各メーカーは、直ちに新型エンジンの開発を行った。特に、大幅にシェアを落としていたキョクトーの開発陣の熱意は凄まじく、完成したDOHC4バルブタイプの1級車単気筒エンジンの性能は、メグロやトーヨーと比較するに足る性能であった。これに対抗したHKSがフジ1級車単気筒エンジンのボアアップ機を開発・発表すると、すぐさま同様の改良を施した新型機を開発した。こうした開発競争によってキョクトーのエンジンは格段に性能が向上。安定供給や整備性の面でメグロやトーヨーはおろかフジをも圧倒したキョクトーは、1986年度以降急速にシェアを拡大。1989年末にはなんと最も低迷していた1981年時の約6倍となる286台を供給。シェア全体の18.6%を占有するという躍進を遂げ「1級車単気筒=キョクトー」という図式を決定づけたのである。そのキョクトーも、1993年10月のセア一斉乗り換えによって姿を消した。 セア導入後の極東内燃機株式会社は、トーヨーを生産していた株式会社トーヨー内燃機と共に、競走車の認定整備業者となっている。
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