死球
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日本プロ野球における危険球
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公認野球規則では6.02(c)(9)において投手は打者を狙って投球することが禁じられており、「これを投球した投手およびそのチームの監督には、審判員により退場を宣告もしくは同様の行為をもう一度行った場合は即刻退場させる旨の警告が発せられる」と定められている。この場合、打者に投球が当たったか否かは問わず、審判は自身の判断で投手(または投手と監督)を退場させることができる。
日本野球機構ではこれとは別に、セ・パ両リーグのアグリーメント39条に危険球についての規定を置いている[16][17]。これによれば、「投手の投球が打者の顔面、頭部、ヘルメット等に当たり、審判員がその投球を危険球と判断したとき、その投手は即退場となる」とされているが、「ヘルメット"等"」とあるように、胸から上の頭部付近の部位に当たった場合でも、審判員の判断により危険球と見なされる場合もある(1998年4月10日の巨人-横浜戦で石井浩郎の上背部への危険球で退場処分になった佐々木主浩の例などがある)。また、「危険球」とは「打者の選手生命に影響を与える、と審判員が判断したものをいう」と定義されている。
なお、頭部に投球が当たった場合でも緩い変化球などでそれが危険球ではないと判断された場合は、投手は即退場にはならず、警告が発せられる。この場合、次にいずれかのチームの投手が頭部付近への投球を行えば退場を命じられる。
1982年に審判員により危険球に対する規定が制定され、同年より適用。同年8月6日、井上祐二の投球に対して適用され退場処分となる[18]。
危険球制度がより確立されたきっかけは、1994年5月11日にヤクルトスワローズ対読売ジャイアンツ(巨人)戦で発生した死球合戦[注 2]から、西村龍次がダン・グラッデンの顔面付近に投じた球がきっかけとなり起こった乱闘である[19][注 3]。事態を重く見たセントラル・リーグは緊急理事会を開き、さしあたって「故意・過失を問わず頭部に死球を与えた投手は退場」というアグリーメントを新規に設けた(最初の適用者は中日ドラゴンズの郭源治)。その後、カーブのすっぽ抜けで退場になった例もあったことから、翌1995年からは審判が危険球でないと判断した場合には退場を課さないというルールになった[20]。
一方でパシフィック・リーグでは、審判がそれまで以上に厳しいルールの運用をするという見解にとどめた。両リーグの違いの一例として、1999年4月9日に巨人・村田真一が横浜ベイスターズ・斎藤隆から顔面に死球を受けた際、斎藤は即退場となったが、同年の9月8日に福岡ダイエーホークス・秋山幸二が2回裏に西武ライオンズ・松坂大輔から顔面に死球を受け頬骨骨折の怪我を負い退場した際は、松坂には警告処分のみ発せられ、松坂はそのまま6回3分の2まで投げた。セ・パ共通の現行のルールになったのは2002年からである(最初の適用者はセでは巨人・三浦貴、パでは2003年のダイエー・吉武真太郎)。
前述のとおり、最初の危険球で警告となるか即退場となるかは球審の裁量に委ねられるが、従来から一度でも危険球を投げた場合は即退場としていたセ・リーグでは現在でも即退場となる場合が多く、対照的に警告後退場のルールを運用していたパ・リーグでは即退場処分が少ない傾向にある[要出典]。2005年5月13・14日に行われた西武ライオンズ対巨人(インボイスSEIBUドーム)の試合では、両日2戦合わせて6個の死球が出たことから、審判団が15日の第3回戦を「パ・リーグ アグリーメント」に基づいて「警告試合」とし、この試合で死球を与えた投手は即刻退場、また意図的にぶつけたなど悪質な場合はそのチームの監督も退場にするという警告を両チームに発した。
2022年シーズン終了時点で、危険球による退場の最多記録は山口俊の4度(2012年、2014年、2015年、2021年)で、それに継ぐのは桑田真澄、浅尾拓也、内海哲也の3度。このうち、浅尾のみが全て2008年の記録であり、これがシーズン最多記録でもある。山口が2021年9月14日のDeNA対巨人第19回戦でソトに危険球を与え通算最多記録を4度に更新したのと同日に、ヤクルト対阪神19回戦でもアルバート・スアレスが中野拓夢に危険球を与えており、同日に2投手が危険球退場という珍しい記録が生まれている。
プロ初登板で危険球退場になったのは、2005年9月1日の小林正人(中日)、2010年4月18日の矢地健人(中日)、2015年5月3日の風張蓮(ヤクルト。先発登板では初)、2021年6月26日の高田孝一(楽天)である。
1球で危険球退場になった投手として、1990年8月23日の高木晃次(オリックス)、2006年6月17日の高井雄平(ヤクルト)、2008年9月23日の小野寺力(西武)、2009年4月30日の岩瀬仁紀(中日)[21]、2009年8月2日の有銘兼久(楽天)、2010年9月16日の甲藤啓介(ソフトバンク)、2011年4月24日の松井光介(ヤクルト)、2015年5月24日の山﨑康晃(DeNA)、2018年8月16日のラファエル・ドリス(阪神)[22]、2022年7月20日の笠谷俊介(ソフトバンク)[23]、2023年4月13日の西村天裕(ロッテ)[24]がいるが、いずれもリリーフ登板である。先発投手による危険球退場までの最少投球数および打者数は、2021年7月2日に埼玉西武ライオンズの佐々木健[25]と2024年3月30日に広島東洋カープの黒原拓未[26]が記録した3球、打者1人である。二軍では、2022年7月7日の髙橋優貴(巨人)[27]の2球、打者1人である。
2012年の日本シリーズ第5戦では多田野数人(日本ハム)が日本シリーズでは初めてとなる危険球退場の処分を受けている[28][注 4]。
また、渡辺俊介(ロッテ)は2006年4月29日の楽天戦で、6回までノーヒットノーランピッチングを続けていたものの、7回先頭の鉄平に頭部死球を与えてしまい退場処分を受け、アクシデント以外では非常に珍しい被安打0での降板かつ退場処分ながら勝利投手という珍記録を樹立した。なお、勝利投手となった渡辺はヒーローインタビューも受けており、その際に鉄平に対して謝罪を行っている。
注釈
- ^ なお、アメリカで「デッドボール」といえば1900年代 - 1910年代に広く用いられていた「飛ばないボール」のことを指し、実際この時代は「デッドボール時代」と呼ばれている。
- ^ 2回表、ヤクルト・西村龍次が巨人・村田真一に、3回裏には巨人・木田優夫が西村に、それぞれ死球を与えた。
- ^ なお、この乱闘では当事者となったグラッデンと中西親志に加え、さらに投球した西村も「危険投球」により退場処分となった。
- ^ ただし中継映像では明らかに頭部に投球が当たっておらず、一度ファールの判定がなされたのち原辰徳監督の抗議によって頭部死球となったものである。なお当時はリクエスト制度は無かった。
- ^ 19世紀を含めると、上記のヒューイー・ジェニングス
- ^ 19世紀の記録を含めて最多
- ^ 19世紀を含めると上記のダン・マッギャン
出典
- ^ 内角攻めた!危険球ショック払しょく山口 nikkansports.com 2012年8月5日
- ^ “阪神・掛布HLT 佐藤輝は清原、松井級!「修正能力や対応能力感じる」”. デイリースポーツ online (2021年3月23日). 2022年2月20日閲覧。
- ^ 新井良ガッツポーズに“報復死球” 東スポweb 2012年08月03日
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- ^ ライブボール時代以前を含めると、上記のチック・フレーザー
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- ^ 新人記録
- ^ 19世紀を含めると、上記のフィル・ネル
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