雄物川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/05 10:43 UTC 版)
雄物川 | |
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秋田大橋より南東(上流方向)を望む(秋田市) | |
水系 | 一級水系 雄物川 |
種別 | 一級河川 |
延長 | 133 km |
平均流量 |
276.2 m³/s (椿川観測所) |
流域面積 | 4,710 km² |
水源 | 大仙山(湯沢市) |
水源の標高 | 920 m |
河口・合流先 | 日本海(秋田市) |
流域 | 日本 秋田県 |
地理
湯沢市と山形県最上郡真室川町の県境付近にある大仙山が源であり、十分一沢川と南沢川が合流して雄物川になる。穀倉地帯である横手盆地を北へ流れ、大仙市大曲で玉川が合流する付近から流路を西寄りに変える。出羽丘陵のやや狭搾した場所を蛇行しながら北西に向かい、秋田市に入り平野部に出ると秋田市街の南部を流れ、秋田市新屋町で日本海に注ぐ。
本流筋にはダムが無いため、大雨が降ると水嵩が急増するが夏季の渇水期にはかなり減る。堰などの河川施設が少ないのでカヌーが利用できる。船着き場なども整備されている。
大仙市にある「雄物川河川緑地」が、昭和62年度手づくり郷土賞(水辺の風物詩)受賞[1]。角間川地区の「河港のまち角間川ルネサンス ~雄物川舟運の歴史文化を活かしたまちづくり~」が令和2年度同賞受賞[2]。
生物
流域には自然が多く残り、上流域ではイワナ、ヤマメが、中流から下流にかけてはウグイ、ヤリタナゴ、ブラックバスなどがそれぞれ優占するなど多くの淡水魚類が生息する。シーバスなど海域から遡上する種も多く、また、絶滅が危惧されるゼニタナゴの分布北限は当流域にある。
歴史
天長7年1月3日(ユリウス暦830年1月30日)の地震と思われる未確定な事象により、「秋田河の水涸れて溝の如くなり、添河・覇別の河岸崩れ、川を塞ぎ、河水氾濫」との記録に現れるのが初見で、この「秋田河」が雄物川に比定されている(茅野一郎・宇津徳治, 1987, 日本の主な地震の表, 地震の事典, 朝倉書店)。同様に「添河」は旭川に、「覇別」は太平川に比定されている。
明治期に奥羽本線が全通するまで水運が盛んに行われ、上り舟は海産物などを、下り舟は米など農産物を主な積み荷とした。角間川、刈和野(いずれも現在の大仙市)などには、大きな河岸場があった。古くは「大川」とも呼ばれていたが、御物(年貢米)を運んだことから「御物川」「御貢川」などと呼ばれ、これが転じて「雄物川」になったという[3]。江戸時代には久保田藩と亀田藩との間で、雄物川水運への課税をめぐる紛争がたびたび発生している(雄物川一件)。
かつては土崎港(秋田港)内に河口があったが、洪水防止のため大正から昭和にかけて大改修が行われ、1938年(昭和13年)に雄物川放水路が河辺郡新屋町(現在の秋田市勝平地区)に作られた。旧雄物川は秋田運河となり、水位が下がって新たに生じた土地は開拓され住宅地・工業地帯となった。国道7号・国道13号(秋田北バイパス)もかつての水域を通っている。
1947年(昭和22年)8月1日の集中豪雨により増水。被害多数[4]。
1983年(昭和58年)5月26日の日本海中部地震の際には、津波が雄物川河口から逆流したうえ、旧河口を中心に液状化現象が発生する被害が出た。
支流・分流
- 十分一沢川・南沢川 - 合流点から下流が雄物川と呼ばれる
- 山ノ田沢川
- 雄勝川
- 松根川
- 湯ノ沢川
- 役内川
- 高松川
- 白子川
- 皆瀬川
- 西馬音内川
- 新町川
- 横手川
- 黒沢川(山内黒沢川)
- 丸子川
- 玉川
- 桧木内川
- 生保内川
- 楢岡川
- 淀川
- 荒川
- 岩見川
- 三内川
- 旧雄物川(秋田運河)
- 旭川
- 草生津川
- 新城川
雄物川と同じ種類の言葉
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