超高層のあけぼの 宣伝

超高層のあけぼの

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/31 14:45 UTC 版)

宣伝

本作に懸けた鹿島建設の熱の入れ方は前代未聞で[47]、過去最高額といわれた宣伝費1億円を投入[47]。宣伝費だけで映画が1本作れる勘定[47]。邦画五社の社長でも撮影所を訪ねることは一年に一回あるかないかであったが、鹿島会長は撮影中の東映東京撮影所を三ヶ月間に三回も視察[47]。政財界招待試写会丸の内東映経団連ホール国会議員会館と三回も実施し[47]、議員会館では自民党議員を招待[47]。1969年5月6日に丸の内東映で開催された社長招待試写会では、招待状を出していた佐藤栄作首相は欠席したものの[47]木内四郎科学技術庁長官をはじめ、各界知名士が多数来場した[3][47]。同劇場の前で鹿島会長が来賓一人一人に挨拶。前売り券150万枚は鹿島建設が購入[47]。工事現場の労務者有給休暇扱いで映画を観るように命令された[47]。その他、ポスターから飛行機を使ったビラなど、ありとあらゆる手段でキャンペーンを張り、「映画会社の社長もあれだけの情熱を持って映画作りに当たれば、もっといいものが出来るし、ヒットするはずと映画関係者を唸らせた」と書かれたものもあるが[47]、これらポスター5000枚や大型立て看板アドバルーン30個、テレビ用スポット広告は、"義理と人情"が売り物の映画会社だけに、前売で150万枚を捌いた鹿島建設さんに顔が立たないと東映宣伝部が実費1億円で行ったものであった[52]。ただ銀座一帯に飾った250枚の立て看板は美観をそこなうと築地警察から一つ残らず撤去された[53]

鹿島建設の支店は当時全国8店、出張所・作業所は1000ヵ所[8]。家族出入り業者にキップを売れば十分にさばけたとされる[8]。鹿島会長は1965年の参議院選挙で100万票、女婿の鹿島建設専務・平泉渉も47万票を獲得しており[8]、動員力は立証済み。山奥の場合はトラックで労務者を町の劇場まで運ばせた[47]下請け業者に数百枚単位でキップが押しつけられ[54]、鹿島の仕事にまた使ってもらうためキップを売らなければならないが、たくさん当てもなく、本社に納金しなければならないから結局自腹[54]。鹿島建設がキップを何枚購入したか文献によってバラつきがあるが、1969年9月の内外タイムスは、鹿島建設150万枚、東映20万枚を加えて計170万枚[55]、1969年暮れの週刊朝日』では本社と系列会社で120万枚[56]、東映に純利益で2億8000万円が転がり込んだという[56]。前売りは1974年でも25万枚くらいが限度といわれたため[57]、1969年のこの数字がいかに異様か分かる。『週刊朝日』は「これは提携ではなく、スポンサー丸抱えと変わらない」と記述している[56]

当時の東映は、岡田茂映画本部長が指揮する"任侠路線"と"性愛路線"が成功し[22][58][59]、東映ファンからも支持を受けていた[22][60]。この年は正月明けから映画のタイトルも『残酷・異常・虐待物語 元禄女系図』『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』『謝国権「愛(ラブ)」より ㊙性と生活』『異常性愛記録 ハレンチ』『妾二十一人 ど助平一代』『㊙女子大生 妊娠中絶』と、メジャー映画会社とは思えない振り切ったエログロ満載の文字づらを並べて売りまくっていた[22][61]。これらの立て看板が当時は街に溢れていた[61]。本作『超高層のあけぼの』の前に掛かっていた映画は、石井輝男監督の排斥運動が起きて社会的反響を呼んだ『徳川いれずみ師 責め地獄』であった[62]。この流れで「『超高層のあけぼの』みたいな教育映画ばりの高尚な題名の映画が掛かると東映ファンも戸惑うし、会社のイメージダウン(?)になる」と東映宣伝部では「改題を要求したい」と頭を抱えた[22]


注釈

  1. ^ 後に東宝の社長になった高井英幸スカラ座に勤務していたときに、1968年に2月10日に公開が決まっていた『遥か群衆を離れて』が封切一週間前に20分短いと判明した。それで関係者が急遽20分の短編映画を探し、短編『超高層のあけぼの』を併映作としてスカラ座で単館ロードショーをやったという[6]。2本の組み合わせが水と油で興行は厳しかったと話している[6]

出典

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  3. ^ a b c d e f クロニクルⅡ 1992, p. 48.
  4. ^ DVDソフト宣伝ポスターより
  5. ^ 「超高層のあけぼの」
  6. ^ a b 高井英幸『映画館へは、麻布十番から都電に乗って。』KADOKAWA、2010年、200–205頁。ISBN 9784048850803 
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  8. ^ a b c d e f g h i j 「〔タウン〕 前売百五十万と鹿島の組織票」『週刊新潮』1969年5月10日号、新潮社、15頁。 
  9. ^ a b c d e f g h 「〔ルックげいのう〕 映画製作に乗り出した鹿島建設」『週刊現代』1968年6月27日号、講談社、31頁。 
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  11. ^ a b c d “'68年の十大ニュース大企業の映画製作”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1968年12月14日) 
  12. ^ a b c d e f g 今村三四夫 (1968年7月6日). “東映、鹿島建設が『霞ヶ関ビル劇映画』 題名を一般から公募 第一席に36万円の懸賞”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 8 
  13. ^ 「企業タイアップ映画は起死回生薬? "ヤナギの下"狙う各社」『週刊サンケイ』、産業経済新聞社、1968年8月26日号、104頁。 
  14. ^ a b c d e f 今村三四夫 (1969年2月8日). “今週のことども霞ヶ関ビル映画 一瞬の監督交替”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1 
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  91. ^ “広告”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社): p. 8. (1969年5月13日) 「SCREEN GUIDE 試写室 『超高層のあけぼの』」『週刊明星』1969年5月18日号、集英社、71頁。 






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