豊川稲荷
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交通アクセス
豊川稲荷別院
- 東京別院 - 東京都港区元赤坂1-4-7、唯一の直轄別院、大岡越前守の勧請。
- 大阪別院 - 大阪府大阪市天王寺区堂ヶ芝1-5-19、観音寺。
- 横須賀別院 - 神奈川県横須賀市大滝町2-27、徳寿院。
- 札幌別院 - 北海道札幌市中央区南7条西4丁目1-1、玉宝寺。
- 福岡別院 - 福岡県春日市春日原北町一丁目、東慶院。
脚注
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。
- 新編豊川市史編集委員会 編『新編豊川市史 第二巻 近世』2011年。
関連項目
- 稲荷神
- 豊川 (曖昧さ回避)
- 西町の稲荷堂
- こちら三河放送局 - 豊川いなりを動画にて紹介している
- ちゃんと伝える - 稲荷の門前町をメインの舞台にしている映画。豊川市出身の園子温監督。2009年(平成21年)作品。
- 常安寺 (鳥羽市) - 真言宗から曹洞宗に改めるにあたり、豊川稲荷の僧侶が深く関わった。
- いなり楽市
- 郵便ポスト - 立願所の前にあるポストは、日本・現役最古。
外部リンク
注釈
- ^ 1954年(昭和29年)4月1日から40日間の秘仏「豊川吒枳尼真天(だきにしんてん)」のご開帳を開催した[2]。
- ^ 三大稲荷の選定には諸説あり一定していない。豊川稲荷では他の2箇所を伏見稲荷大社、祐徳稲荷神社としている(稲荷神#信仰も参照)[要出典]。
- ^ リンク先のページは「荼枳尼天」の表記であるが、このページは妙厳寺の表記に合わせる。
- ^ 東海地方のこの門流を特に「普済寺十三門派」と呼ぶ。義易を初め、普済寺の十三人の高弟がそれぞれ寺院を創建・再建し、この地方における曹洞宗の普及を進めた[要出典]。
- ^ 織田信長、豊臣秀吉が信仰したともいわれるが、確かな記録にあることではない[要出典]。
- ^ 大岡越前守は晩年に1万石を拝領し三河・西大平藩の藩主となり、豊川は西大平藩の領地となった。この取り調べの際に、新政府と妙厳寺の間に入ったのも西大平藩である(廃藩置県まで)[要出典]。
出典
- ^ a b c d e f g h 宮沢崇志 (2018年1月23日). “ぐるり東海 愛知・豊川稲荷通信 「稲荷」でも実は「お寺」”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 名古屋共通版
- ^ a b c d 吉田幸雄 (2016年10月24日). “現場から 豊川稲荷の秘仏ご開帳 期待高まる にぎわい創出 地域で模索”. 中日新聞 (中日新聞社): p. 朝刊 県内版 14
- ^ 『るるぶ愛知 名古屋 知多 三河 瀬戸'24』JTBパブリッシング、2023年、119頁。
- ^ 地球の歩き方編集室 編『地球の歩き方 日本 2023~2024』2022年、516頁。
- ^ a b 新編豊川市史編集委員会 2011, p. 767.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1310.
- ^ 吉田幸雄 (2017年1月5日). “豊川稲荷 三が日145万人 昨年比2万人増 もりあげ隊も活躍”. 中日新聞 (中日新聞社): p. 朝刊 東三河版 18
- ^ 吉田幸雄 (2016年11月16日). “瑞祥殿 完成し法要 豊川稲荷 秋季大祭で利用へ”. 中日新聞 (中日新聞社): p. 朝刊 東河総合版 21
- ^ “木造地蔵菩薩立像”. 愛知県. 2018年12月11日閲覧。
広報資料・プレスリリースなど一次資料
固有名詞の分類
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