矢倉囲い 矢倉の諸戦法

矢倉囲い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/09 01:07 UTC 版)

矢倉の諸戦法

堅陣の矢倉を攻略するため、あるいは自玉の堅さを生かす戦法が色々作られており、長い研究の成果で定跡化が進んでいる。矢倉での戦い方は双方が矢倉囲いに玉を収めてから戦う相矢倉が多いが、先手が戦型を決めやすい。そのため、先手に主導権を握られるのを嫌い、後手が矢倉に囲わず積極的に攻勢にでる戦法がある。これを急戦矢倉といい、その種類も多岐に渡る。

相矢倉

双方が矢倉を築いてから戦いを起こす指し方。多くの場合、先手が主導権を握って先攻し、後手が反撃する形になる。しかし、先手が敢えて後手に主導権を渡す指し方もある。

相矢倉の場合でも玉を囲いに入城させず、6九や4一の位置のままで戦いを始める指し方もあるが、大半は以下のような、がっぷり四つの戦いになる。

矢倉3七銀/▲3七銀戦法(棒銀、4六銀・3七桂型、加藤流などに派生)
数ある矢倉戦法の中で、24手組から先手が▲3七銀と指すのが、3七銀戦法である。先手は▲2五歩を突いていたころは棒銀や▲3七銀から▲3五歩△同歩▲同角から▲3六銀の好形を目指し、場合によっては後手からも△7三銀として△7五歩から7筋歩交換をする指し方などを展開していた。
一方で平成の矢倉界を牽引した形として知られるのが、新24手組から飛車先の保留しての▲3七銀で、後手が△4三金右ならば▲3五歩と動いていく。そこで後手は△6四角と先手の仕掛けを牽制し、以下▲6八角△4三金右と駒組みが進む。この▲3五歩△同歩▲同角のー歩交換を防ぐため後手は△2四銀や△6四角と上がる。この形が大流行し、4六銀-3七桂戦法、さらにその先の91手定跡といった凄まじき深化を果たしていくことになる。
▲3七銀戦法から△6四角▲6八角△4三金右▲7九玉△3一玉▲8八玉△2二玉▲4六銀△5三銀▲3七桂が。4六銀-3七桂戦法といわれる形の入口である。ここからプロ棋士の研究の極地といわれる91手定跡が生まれる。
手順はリンク先を参照。91手まで進んだ終盤の局面まで進んだ局面が4局実戦例がある。渡辺明屋敷伸之が2局ずつ先手を持って指しており、先手が4戦全勝。渡辺は後手を持ってもチャレンジしているが結果は出なかった。
現在では、この91手定跡に入る以前に、後手側に有力手段が発見されたため、2012年を最後に現れてはいない。
類似に「加藤流」がある。▲3七銀にして▲1六歩、▲2六歩を突く戦術で、▲2六歩-3七銀型から▲6七金右△4三金右▲4六銀(もしくは▲3五歩)△6四角▲6八角△3一玉▲7九玉△2二玉▲8八玉△8五歩▲1六歩が手順の一例で、加藤一二三九段が得意としていた形である。戦法にとことんこだわった加藤は、その時々の流行形には目もくれず、自分が信じる最善形をどこまでも追求していた。データベース上で見ると先手は加藤九段1人で74局を記録しこだわりが感じられる。
以下は玉を囲ってから、▲4六銀と上がって▲3七桂の形を目指す▲4六銀-3七桂戦法(機を見て▲2五桂と跳ねて▲5五歩や▲3五歩から総攻撃を仕掛けていく)または▲4六角と角をぶつける脇システムに分かれていく。いずれもタイトル戦の大舞台で数多く戦われてきた戦型で、激戦が予想される。
▲4六銀-3七桂戦法では先手が全力で攻め、後手が全力で受けに回る戦型となるが、こうした一戦になるのは数ある戦法の中では実は珍しい。これらは平成中期のタイトル戦で数多く指され、詰みまで定跡化された変化もある。
矢倉3七桂/▲3七桂戦法(▲4七銀-3七桂型他)
24手組から先手が▲3七桂と指すのが、3七桂戦法である。3七銀と並ぶ矢倉の代表戦法で、ここから飛車先を伸ばして後述の▲4七銀-3七桂型(▲3八飛、同型矢倉など)、▲2六歩で止め▲3七桂-4八銀型から雀刺しなどに発展する。またここからも▲3八飛から森下システムに合流することも可能。
同形矢倉
先手が▲3七桂から▲4七銀-3七桂型、後手が△6三銀-7三桂型で対峙する将棋は、昭和の時代に多く指されていた。現在も米長流急戦矢倉を巡る駆け引きの中で現れることがある。以下お互いに1筋、9筋の端歩を突いたり、▲8八玉や△2二玉と入城して、戦いのチャンスを待つ。仕掛けの基本は▲4五歩で、お互いに飛角銀桂で攻め、金銀3枚でがっちり守っているため、すべての駒が働く激しい攻め合いになる。玉の位置、端歩の関係はさまざまなパターンがある。同型から▲4五歩△同歩▲同桂や▲4五歩△同歩▲3五歩が仕掛けの例。大流行した形ではないが、後手急戦矢倉が増えた影響で、その対応策として先手▲4六歩-4七銀型が増加。それを見た後手が追随して、同形矢倉になるケースが散見される。
雀刺し(飛車先不突3七桂・2六銀型、▲2九飛戦法も含む)
▲3七桂の代表的な戦法。矢倉囲いの弱点である端を攻めるため、香の下に飛車を仕込み、右の桂馬、時には銀将、そして角行を敵陣の端に集中して攻め込む。先手で▲1五歩を突き越すタイプと、端を受けるスタイルとがある。
森下システム
新24手図から▲6八角と上がった局面である。開発者は森下卓九段で▲3七銀戦法や、加藤流が早くに攻撃形を決めるのに対し、先に玉側に手を掛け、後手の応手、特に右銀の動向を見てから作戦を決めようという考えである。作戦というより思想、考え方に近いともいえる。そして攻撃態勢は▲3七桂-4八銀型から従来の2九飛や雀指しではなく、飛車を3八飛にする。この3八飛の意味は、3七の桂を支え、4八の銀を動きやすくしている点である。
森下がこれを連騰し、高い勝率を収めてから他棋士にも連鎖し、大流行した形であった。戦術の特徴はその柔軟性にある。ただし攻めの要の右銀進出が後手よりも遅く、自陣の攻撃態勢に至る前の段階で相手にイニシアチブを取られるケースも多く、また早めに玉を囲うことにより、端を一点集中攻撃するスズメ刺しという天敵が現れ、激減することになった。しかしその後、▲8八玉を保留して中央から動く指し方が開発され、復活を遂げた。
脇システム
角が4六と6四で向かい合う形を脇システムと呼ぶ。脇謙二が得意とした形である。互いに角が取れるが、とると1手損になるので、向かい合ったまま駒組みが進むケースが多い。タイミングを見て角交換し、▲6一角や▲4一角を狙うのが主眼。研究のしがいのある戦法で、詰みまで研究されている変化もあるといわれる。
四手角と千日手矢倉・三手角(相振り飛車における矢倉崩しにも応用される)
角を先手なら▲2六、後手なら△8四にもっていき、角の睨む位置を、先手から4筋(後手は6筋)にして攻撃の照準を合わせる戦術である。角をその位置にもっていく方法によって、四手ルートと三手ルートがある。四手ルートは先手からみて▲7九〜▲4六〜▲3七〜▲2六と▲7九〜▲6八〜▲5九〜▲2六、三手ルートは▲7九〜▲3五歩△同歩▲同角〜▲2六や、▲7七〜▲5九〜▲2六、さらに後手であると△5五歩▲同歩△同角〜△7三〜△8四などがある。
また、前述の総矢倉と組み合わせ、先手後手お互いが同型と化した局面は、仕掛けたほうが不利となるため、千日手になりやすいことから、特に千日手矢倉と呼ばれている。

変化型

相矢倉模様から急戦矢倉/居角型急戦を仕掛けずに、お互い角を引き角にし、玉を囲う前の6九や4一の位置で開戦する指し方もある。特に二上達也九段が得意とし、棋聖戦を3期9連勝で連続防衛を果たしている。

また下記の趣の異なる作戦に組み替えるのも有力な作戦であり、相手の意表を突いたり、駒組みの不備や手順前後を咎める1手段である。

急戦矢倉

相矢倉の定跡の進歩や流行形の推移に合わせて、急戦矢倉も工夫と進化を繰り返して、盤上を彩ってきた。金銀3枚の堅陣に組み上げてから、格調高く相矢倉の攻防を堪能するのも王道の戦い方であるが、矢倉を目指した相手に対し、組み合う相矢倉には付き合わず先攻を目指すのが急戦矢倉である。矢倉の出だしは先手が角道を先に止めるため、角道を止めない後手が使うことが多い。

玉の囲いもそこそこに、飛車角銀桂で鋭く堅陣に迫る急戦矢倉も、矢倉戦の醍醐味のひとつである。そして急戦矢倉への対応は、矢倉を指す者には必須科目となっている。

近年では角道を止めた先手に対し、後手から仕掛けていく。先手に主導権を握られる展開を避けたい、後手の積極策として以下の戦術が発展した。矢倉を目指す先手は相手の急戦を警戒した駒組みが求められている。

△持ち駒 なし
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△持ち駒 なし
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急戦矢倉はかつては図2-1-1のような▲4九金型の早繰り銀戦が主流であった。升田幸三が得意として連戦連勝していたことから升田流急戦矢倉ともいわれた。

後手陣は△6四歩・5三歩型の場合には△5四銀〜4三銀が多く指されている。銀が4三に来ることで3五歩を取らずに対処することができる。後手がこの局面で△5四歩などは、▲3四歩からの取り込みから△同銀▲3五歩△4五銀▲同銀△同歩▲3四銀がある。△3五歩▲同銀△3四歩▲2四歩に△3五歩は▲2三歩成△同金▲同飛成△2四歩で龍の捕獲を狙う。△6四歩・5三歩型なので▲3四歩には△同銀▲2四龍△2五歩▲1五龍△1四歩▲1六龍△2六銀で捕獲ができる。このため▲3四歩では▲3二歩とすると、これを△同飛なら▲同龍△同玉▲8二飛、△3四銀打なら▲3一金△4二玉▲2二龍△同銀▲2一金△3二玉▲2二金△同玉▲5五桂といった展開である。

図2-1-2のように▲5八金型であると、飛車の打ち込みに弱い陣形なので、飛車を捨てる展開には注意が必要であるが、この後手陣7四歩型陣形の場合は図2-1-1の展開同様▲2三歩成△同金▲同飛成△2四歩で龍の捕獲は▲3四歩でよく、以下△同銀▲2四龍△2五歩に今度は▲3五角があり、△同銀は▲同龍、△3三金には▲4六角が生じ、以下△6四銀には▲1五龍、△2三銀打は▲4六角△6四歩、▲1五龍、△6四歩のところで△2四銀は▲8二角成で、△3九飛には▲5九飛、といった展開で進められていた。

△持ち駒 なし
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△持ち駒 歩
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ただし実際には加藤治郎編『将棋戦法大事典』(1985年)では、「この矢倉戦法即持久戦に、急戦の新分野を開拓したのが大山名人である」とし、升田でなく大山康晴の名を挙げている。同書で第1号局としてあげているのが、▲大山-△升田戦の昭和24年度A級順位戦(図2-2-1)である。この一戦は後手の升田が銀でなく角で飛先を受けたことから『将棋戦法大事典』では「4六銀からの急戦を一時的ながら、後手の角頭が弱いため、右銀の急進撃が効果的だから」で「急戦矢倉第1号局は後手の特殊作戦に触発された、といえそうである」として紹介している。△6四歩▲4六銀△5一角▲3五歩△同歩▲同銀△6三銀▲7八金△7四歩▲6九玉△5四銀▲4六歩△8四角▲6八銀△3三歩と進む。

同じ加藤治郎の著『平手将棋必勝法』(1954年・湯川弘文社)で「その後もこの型は何局も闘われたが、大流行のきっかけとなった」としたのは升田-坂口允彦戦の第1期王将位決定リーグ(1951年年8月、図2-2-2)としていて、これは升田流急戦が最もうまく決まった一局として知られる。△4五歩に▲2四歩△同歩▲2三歩で決まったことで、この一戦以来、後手方は3二玉型では受からないこととなる。

羽生 △持ち駒 なし
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△持ち駒 なし
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対矢倉急戦居玉棒銀 (超急戦棒銀)は、居玉のまま囲いは後回しにして、一直線に棒銀を繰り出す個性的な戦法である。先手に正確に受けられたら上級者には通用しないB級戦法にも見えるが、あの羽生善治九段もA級順位戦で佐藤康光九段に指している。図2-3から△6五歩▲同歩△9五銀▲5五歩△同角▲5八飛△8六歩▲同歩△同銀▲5五飛△7七銀不成▲同桂△8九飛成▲7九銀と、角損の攻めを敢行して激戦模様になった。

△6二飛型急戦右四間飛車)は、昭和後期から平成にかけて、盛んに指されてきた。また、角落ちの上手が用いる作戦として知られる。

矢倉の堅陣に対して、△6四歩と突くのが急戦の意思表示で、以下▲2六歩に△6二飛と右四間飛車に構える。2筋の歩は交換させても、飛車角銀桂の攻め駒が6筋に集中、迫力のある攻めが狙えるので、後手番ながら主導権が握りやすい。猛烈な攻めの棋風の若き日の塚田泰明九段が得意にしていた形でもあった。

△持ち駒 歩
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米長 △持ち駒 なし
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中原流急戦矢倉はその名の通り、中原誠十六世名人が得意にした急戦矢倉。2枚銀を前線に繰り出し、△6三金と、守備金までもが攻めに参加する形は、重厚な中原の棋風にマッチした。鋭く攻めて一気に攻略を目指すというよりも、金銀の圧力で押さえ込みをも視野に入れた、手厚い急戦矢倉である。ただし、金銀の厚みが強力な半面、見た目通りに玉形がとても薄いので、反撃されるともろいのが泣きどころであり、中原だからこそ指しこなせた、難易度の高い戦法でもある。

一口に急戦矢倉とはいっても数はかなり多いが、その中でもプロのタイトル戦でも多く現れた代表的な急戦矢倉としては、昭和の時代に米長邦雄永世棋聖が得意とした米長流急戦矢倉がある。現在もまれに指される形である。米長流急戦矢倉は、矢倉囲いを目指して△4四歩と突かずに、△4四銀と銀を繰り出し積極的に打って出るのが主眼の一手。その後は、中央に戦力を集めて突破を狙うのが基本戦略である。図2-6から△5五歩▲同歩△6五歩と攻めていく。後手は飛車と角以外に2枚の銀と桂の5枚で攻め掛かるため、非常に破壊力がある。ただし、急戦矢倉の弱点である玉の薄さを抱えているため、カウンターには気をつけるところがある。

第24期十段戦七番勝負で米長邦雄十段は、中原誠との防衛戦で、第6局と第7局(1986年1月)に米長流急戦矢倉を連投し、フルセットの末に中原の挑戦を退け、戦法の優秀性が注目されるようになった。

米長流の考え方は時代を超えた現在でも受け継がれており、藤森哲也が工夫を加えた藤森流急戦矢倉は、米長流の進化版として知られる。2筋の歩交換後に△1四歩▲2六角と追い、角の引き場所を限定させてから、さらに後手は仕掛けたあとに飛車を8三に引くのが基本形。将来の7一角成を緩手にして、飛車の横利きを受けに利かしているのが新工夫である。

△持ち駒 歩2
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△持ち駒 なし
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矢倉中飛車は、相手の矢倉模様に際して飛車を中央に配置し、角をそのままにそこから△5五歩と歩交換から、△5一飛と引いて、△5四銀-7三桂と構え、6二金もしくは5二金-6一飛と、攻撃形を築いていく。

急戦矢倉は濃密な相矢倉の戦いほど表舞台には現れてこなかったが、タイトル戦の佳境で採用されるなど、棋界に大きなインパクトを残してきた。

ちなみに矢倉中飛車と似た言葉で、矢倉流中飛車という戦法も存在するが、これは急戦矢倉ではない。矢倉規広が得意とする中飛車戦法のひとつなので、まったく違う戦法である。

△5三銀右急戦は、機を見て△5五歩▲同歩△同角と動いていく。以下▲7九角なら△7三角▲4六角△6四銀▲7五歩△8四飛から激しい流れとなる。△5五同角のところで▲2五歩なら△3二銀と受けて、これは比較的ゆっくりした展開となる。一時期は流行した戦型であるが、現在は矢倉の出だしが変わったため、見なくなってしまった戦型のひとつである。

△5三銀右急戦の系譜にある阿久津流急戦矢倉(中原式、郷田式、渡辺式とも)は、阿久津主税が一時期に多投して、高い勝率を挙げたことからその名がついた。△5三銀右型から、△5五歩▲同歩△同角と中央に飛び出し、理想形を狙う。その後△5四銀の好形から、△6五歩と仕掛けるのが狙い筋のひとつであるが、角は展開に応じて、△2二角か△7三角と引いて戦うことが多い。

△持ち駒 なし
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渡辺 △持ち駒 歩2
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阿久津流急戦矢倉が大きな注目を浴びたのは、勝者に初代永世竜王の称号が懸かった、2008年の第21期竜王戦七番勝負で、渡辺明竜王が羽生善治名人の挑戦を受け、第6局、第7局に連投したことである。第6局では既存の定跡の△5五歩ではなく、△3一玉の新手を出して、短手数で快勝した。渡辺は第7局にも勝ち防衛に成功、初の永世竜王の称号の資格を得たばかりか、史上初のタイトル戦3連敗から4連勝の離れ技を見せた。

急戦矢倉の主役の駒をひとつ挙げるとするならば、斬り込み隊長の銀の活躍が必要不可欠で、時に盤上では、個性的な動きを見せて翻弄することもあるが、ユーモラスなネーミングのカニカニ銀(主に先手番の指し方。5手目に▲7七銀とする)は、イメージとはうら腹に一撃必殺の破壊力を持っている。居玉のまま強力な2枚のハサミ(銀将)で、中央突破が決まれば痛快な勝ち方が味わえる。

屋敷流忍者銀は、屋敷伸之九段が得意にしている急戦矢倉である。2つの銀で6六、4六に繰り出すさまは、カニカニ銀にも似ているが、中央突破を狙うばかりではなく、3五歩と3筋への仕掛けもあり、手広い攻め筋で揺さぶることが可能である。図2-10の▲3五歩以下、△同歩▲同銀△4二角▲7九角△3四歩▲2四歩△同歩▲同銀△同銀▲同角△同角▲同飛△2三歩▲2八飛と交換が実現すれば先手十分である。若き日の屋敷は、その変幻自在の棋風から、お化け屋敷や忍者屋敷の異名もとったが、忍者銀は2枚銀の神出鬼没の動きから、その名がついたという。

これまで紹介した急戦矢倉は2010年代後半からは下火になっているが、2020年代になっても急戦矢倉で高い評価を受けているのが、対矢倉左美濃急戦である。玉の囲いを一目散に左美濃に囲い、先手に飛車先の歩を切らせてもかまわく、6筋、7筋、8筋から強力な攻めで、先手陣を攻略する。図2-11から▲6九玉なら、△6五歩▲同歩△7五歩と仕掛けて十分となる。同戦法は、角換わり△4二玉-6二金-8一飛型とともに2010年代後半から大流行になり、パイオニアの千田翔太は、升田幸三賞を受賞している。

△持ち駒 なし
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△持ち駒 なし
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急戦矢倉は先手が五手目に6六歩とするか、7七銀とするかで成立する急戦は異なり、例えば居玉棒銀や右四間飛車は6六歩型に、矢倉中飛車や阿久津流急戦矢倉は7七銀型に対して用いられる。米長流急戦矢倉のようにどちらでも成立する急戦もある。

近年矢倉崩しの6三銀型対矢倉左美濃急戦により、△7三桂から△6五歩が台頭し抵抗、▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩に対し、5手目は長らく▲6六歩が主流だったのが、この手を激減させたのである。バリエーションはいくつかあるが、代表的なのが図2-11の構えである。後手は角を2二においたままで仕掛ける。すると飛車、角、銀、桂と4枚の攻めで理想的である。以下▲7五同歩なら△8六歩▲同歩△6五桂が腰の入った攻めで、先手は受けきるのが困難である。また後手の低い左美濃陣形は堅く、チャンスがあれば飛車を切って攻めることもできる。場合によっては△8四飛と浮いたり、△6二金の形もある。

この作戦が非常に優秀とわかったため、先手の対策としては2020年以降は矢倉を目指すときにまた5手目は▲7七銀と上がることが増えていった。▲6六歩さえ突かなければ△6五歩の仕掛けがないため、左美濃急戦も効果半減となるからである。初手から▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩▲7七銀とすれば後手は6筋を争点にしにくく、6三銀型の急戦策を牽制できる。したがって今度は第64期王座戦五番勝負第3局▲羽生善治王座-△糸谷哲郎八段戦のように、角道オープンの状態で△5三銀右から△5五歩と中央を狙っていく指し方、第75期順位戦A級▲森内俊之九段-△行方尚史八段戦のように6二銀のまま△5五歩と突っかけている順が出現した。

先手が5手目に▲6六歩から矢倉を目指した場合、後手が5筋から動こうとすると途中で△8五歩▲7七銀の交換を入れることになり、5手目に▲7七銀から矢倉を目指すと、後手は8四歩のままで中央から動くことができる。

過去、有力な急戦矢倉戦法を開発した棋士が好成績を挙げることも多く、升田幸三雀刺しや升田流急戦矢倉、米長邦雄米長流急戦矢倉谷川浩司の居玉棒銀などはタイトル獲得にも結びついている。(升田は大山康晴を破って三冠、米長は中原誠を破って四冠、谷川は羽生善治を破って永世名人になっている。)


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