木之下晃 木之下晃の概要

木之下晃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/26 09:08 UTC 版)

概要

長野県諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市)に生まれる。諏訪清陵高等学校、日本福祉大学を卒業後、中日新聞社博報堂を経て、1973年フリーランスになる。以来、クラシック音楽指揮者演奏家作曲家を中心に、世界各国のコンサートホール歌劇場、作曲家ゆかりの地など、音楽をテーマに撮影活動を行う。「音楽写真家」を標榜している。

2010年、3万本を超える、自身が撮影したフィルムを管理・保存する目的で、「木之下晃アーカイヴス」を設立[2]

2015年1月12日、虚血性心不全により横浜市内の病院で死去[3][4]。満78歳。

写真に対する姿勢

自著では、デジタルカメラは一切使わず、ニコンフィルムカメラを愛用するとしている[5]。また、「キレイな写真」と「イイ写真」は異なり、フィルムカメラの方が、伝える感動の深さで優れていると主張している[6]

肖像写真は写真家にとって最も基本的なことで、原点であり[5]、「永遠の課題」と考えている[7]。肖像写真で木之下に最初に影響を与えたのは、土門拳である[5]

エピソード

写真家の林忠彦は、木之下が音楽家を撮り始めたので音楽家だけは撮らなかったと木之下宛の手紙に記した[5]

取材や撮影を嫌った画家で作家のトーベ・ヤンソンは、木之下の写真を気に入り、本などに採用した。木之下曰く、ヤンソンの写真は、木之下の手元に最も多く残っている[8]

2012年9月、ニコン役員室の収蔵コレクションに、マリア・カラスのプリントが加えられる。ここに作品の収蔵された写真家は、土門、木村伊兵衛デビッド・ダグラス・ダンカンに続いて4人目だという[9]

写真集・著作

  • 『SEIJI OZAWA―小澤征爾の世界』講談社、1981年
  • 『世界の音楽家I・指揮者』小学館、1984年
  • 『世界の音楽家II・ピアニスト』小学館、1985年
  • 『世界の音楽家III・演奏家』小学館、1985年
  • 『アメリカ音楽地図』新潮社、1987年
  • 『小澤征爾とその仲間たち』音楽之友社、1988年
  • 『モーツァルトへの旅』新潮社、1991年
  • 『巨匠・カラヤン』朝日新聞社、1992年
  • 『音楽家のオフ・ステージ』東京書籍、1996年
  • 『朝比奈隆―長生きこそ最高の芸術』新潮社、2002年
  • 『カルロス・クライバー』アルファベータ、2004年
  • 『武満徹を撮る』小学館、2005年
  • 『マエストロ―世界の音楽家』小学館、2006年
  • 『MARTHA・ARGERICH』ショパン、2007年
  • 『青春の音楽―PMF・SAPPORO』北海道新聞社、2009年
  • 『石を聞く肖像』飛鳥新社、2009年
  • 『最後のマリア・カラス』響文社、2012年

受賞・受章


  1. ^ 茅野市寄贈記念「木之下晃写真展 世界の音楽家」 茅野市美術館
  2. ^ 公式ブログ
  3. ^ 木之下晃さん死去、78歳 日本に「音楽写真」”. 中日新聞 (2015年1月19日). 2015年1月19日閲覧。
  4. ^ 木之下晃の訃報です”. 木之下晃アーカイヴス (2015年1月19日). 2015年1月19日閲覧。
  5. ^ a b c d 木之下晃『石を聞く肖像』飛鳥新社、2009年。
  6. ^ 木之下晃「音楽写真の夢♯41」『東京新聞』2013年6月6日夕刊。
  7. ^ 木之下晃「音楽写真の夢♯39」『東京新聞』2013年6月4日夕刊。
  8. ^ 木之下晃「音楽写真の夢♯13」『東京新聞』2013年4月24日夕刊。
  9. ^ 公式ブログ「コレクションされました」
  10. ^ "カメラで音楽を撃て 写真家・木之下晃(2007年)". NHK. 2023年1月24日. 2023年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月26日閲覧


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