曹植 曹植の概要

曹植

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 23:06 UTC 版)

曹植
曹植(部分、顧愷之「洛神の賦図」より)
続柄 武帝第五皇子

全名 曹植
称号 陳王(諡:陳思王)
身位 県侯→王
敬称 殿下
出生 初平3年(192年
死去 太和6年11月28日232年12月27日
(享年41)
陳県
配偶者 崔氏(崔琰の兄の娘)
子女 曹苗
曹志
曹金瓠
曹行女
父親 武帝
母親 卞皇后
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生涯

曹操の五男で、生母は卞氏[2]。異母兄は曹昂曹鑠。同母兄は曹丕(文帝)・曹彰。同母弟は曹熊。妃は崔氏(崔琰の兄の娘)[3]。子は曹苗・曹志。娘は曹金瓠(夭折)・曹行女(夭折)。

曹昂・曹鑠が早世すると、建安2年(197年)頃[4]に卞氏が正室に上げられ、曹植は曹操の正嫡の三男となった。幼い頃より詩など数十万言を諳んじた。群を抜いて文章に異才を放つ彼を怪しんだ曹操は「誰かに代筆を頼んだのか」と尋ねた。これに対し曹植は「言出ずれば論と為り、筆を下せば章を成す。顧だ当に面試すべし。奈何ぞ人に倩わんや」といい、曹操に特別寵愛された[5][6]

建安16年(211年)、平原侯(食邑5000戸)に封じられた。

曹植は礼法に拘泥せず、華美を嫌い、酒をこよなく愛し、闊達さと奔放さを合わせ持った天才肌の貴公子であった。ただし少々それが行き過ぎてしまうこともあり、天子の専用通路(司馬門)を勝手に通ってしまい、曹操を激怒させてしまったこともあった(このことは相当な禍根となったようで、後々まで曹操はそれを嘆いた)。詩人としてのみならず、実際には父の遠征に従って14歳から従軍し、烏桓遠征・潼関の戦い[7]張魯征討など数多くの戦役に従軍しており、兄たちと同じく戦場で青年時代を送っている。しかし、軍事面においても飲酒によって不祥事を起こしている。関羽が樊城の曹仁を包囲した際に、曹操は曹植を南中郎将・行征虜将軍として援軍に派遣しようとした。しかし、曹植は酒に酔って曹操の招集に応じることができなかったため、徐晃が派遣されたこともあった。

建安19年(214年)には臨淄侯に転封された。この頃より詩・賦の才能がさらに高まり、さらに曹操の寵愛が深くなった。同時に曹丕との後継争いが勃発した。曹植には楊修丁儀・丁廙・邯鄲淳楊俊荀惲孔桂応瑒応璩らが側近としてつき、曹丕には東曹の人がつくようになり、彼らよりもそれぞれの側近たちの権力闘争といった様相が強かったが、建安22年(217年)に正式に曹丕が太子に指名されると、以降は曹植と側近者たちは厳しく迫害を受けることになった[6][8]

建安25年(220年)に曹操が没すると側近が次々と誅殺され、黄初2年(221年)には安郷侯に転封、同年の内に鄄城侯に再転封、黄初3年(223年)にはさらに雍丘王(食邑2500戸)、以後浚儀王・再び雍丘王・東阿王・王(食邑3500戸)と、死去するまで各地を転々とさせられた。

この間、皇族として捨扶持を得るだけに飽き足らず、曹丕と曹叡(明帝)に対し幾度も政治的登用を訴える哀切な文を奉っている。特に曹叡の治世になると、親族間の交流を復することを訴える文章が増えた。曹叡は族父の曹植を起用しようとしたが、讒言で断念した。その後も鬱々とした日々を送り、太和6年(232年)11月28日、「常に汲汲として歓びなく、遂に病を発して」41歳で死去。子の曹志が後を継いだ。

曹植は中国を代表する文学者として名高いが、詩文によって評価されることをむしろ軽んじていた節がある。側近の楊修に送った手紙では「私は詩文で名を残すことが立派だとは思えない。揚雄もそう言っているではないか。男子たるものは、戦に随って武勲を挙げ、民衆を慈しんで善政を敷き、社稷に尽くしてこそ本望というものだ」と語っており、曹丕が「文章は経国の大業にして不朽の盛事なり」(『典論』論文より)と主張しているのとは、好対照である。

曹植(代『三国志演義』より)

文学作品

漢詩の詩型の一つである五言詩は、後漢の頃から次第に制作されるようになるが、それらは無名の民衆や彼らに擬した文学者が、素朴な思いを詠った歌謡に過ぎなかった。しかし後漢末建安年間から、それまでの文学の主流であった辞賦に代わり、曹植の父や兄、または王粲劉楨らの建安七子によって、個人の感慨や政治信条といった精神を詠うものとされるようになり、後世にわたって中国文学の主流となりうる体裁が整えられた。彼らより後に生まれた曹植は、そうした先人たちの成果を吸収し、その表現技法をさらに深化させた。

曹植の詩風は動感あふれるスケールの大きい表現が特徴的である。詠われる内容も、洛陽の貴公子の男伊達を詠う「名都篇」や、勇敢な若武者の様子を詠う「白馬篇」のように勇壮かつ華麗なもの、友人との別離を詠んだ「応氏を送る」二首や、網に捕らわれた雀を少年が救い出すという「野田黄雀行」、異母弟とともに封地へ帰還することを妨害された時に詠った「白馬王彪に贈る」、晩年の封地を転々とさせられる境遇を詠った「吁嗟篇」などのように悲壮感あふれるもの、「喜雨」・「泰山梁甫行」など庶民の喜びや悲しみに目を向けたものなど、先人よりも幅広く多様性に富んでいる。南朝梁の鍾嶸は、『詩品』の中で曹植の詩を最上位の上品に列し、その中でも「陳思の文章に於けるや、人倫の周孔(周公旦孔子)有るに譬う」と最上級の賛辞を送っている。

なお、彼の最高傑作ともいわれる「洛神の賦」は、曹丕の妃である甄氏への恋慕から作ったという説もあるが[9]、疑わしい。

三国志演義においては、実兄である曹丕の前で詠んだとされる七歩詩が極めて有名である。

煮豆燃豆萁
豆在釜中泣
本是同根生
相煎何太急

(豆を煮るに豆がらを燃やし 豆は釜中に在りて泣く 本より是れ同根に生ぜしに 相い煎ること何ぞはなはだ急なる)

これは煮豆燃萁(しゃとうねんき)という故事成語になった。なお、曹丕も三曹に数えられる優れた文学者であった。

2022年には岩波文庫より三曹こと曹操・曹丕・曹植の作品を集めた本が刊行された。

参考までに「野田黄雀行」を意訳と共に下に記す[10]

野田黄雀行
高樹多悲風 (高い木々には悲しい風が吹きすさび)
海水揚其波 (海原は荒波を打ち上げる)
利劍不在掌 (剣を持たぬ心細い私は)
結友何須多 (友を作るにもびくびくしている)
不見籬間雀 (垣根にいる雀を見たかい)
見鷂自投羅 (鷹の姿に驚いて網に飛び込んでしまったじゃないか)
羅家得雀喜 (猟師は雀が捕まって喜ぶだろうが)
少年見雀悲 (私はそんな雀を見て悲しくなった)
拔劍哨羅網 (剣を抜いて網を切り裂いてやると)
黄雀得飛飛 (黄色い雀は空へ飛んでいった)
飛飛摩蒼天 (青空の彼方まで飛び上がり)
來下謝少年 (再び私の元へ降りてきて礼を言った)

  1. ^ 特に日本の詩文学界では「そうち」と読まれる傾向にある。なお、唐代の詩人李賀の詩「許公子鄭姫歌」末四句は「曹植」で終わっており、七言絶句の押韻法則から「そうしょく」と読ませていることがうかがえる。植の字音と字義の関係は、中国の歴代字書・韻書によって解釈にバラつきがあり、正確には定義できない。
  2. ^ 倡家(歌姫)の出身であるが、『世説新語』賢媛篇に名を列ねるほどの賢婦であった
  3. ^ 下記『曹植』10頁。
  4. ^ 下記『曹植』記載の年譜では建安元年(196年)頃(204頁)。
  5. ^ 伊藤正文『曹植』 中國詩人選集 第3巻(第一刷発行)、岩波書店、1958年11月20日。ISBN 9784001005035https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b477549.html2020年12月1日閲覧 
  6. ^ a b 川合康三『矛を横たえて詩を賦す 曹操』 中国の英傑 第4巻(第一刷発行)、集英社、1986年8月10日。ISBN 9784480425744NCID BN00733040 新版・ちくま文庫、2009年
  7. ^ この時、留守役としてに駐留した曹丕が「感離賦」を送り、弟への別れを惜しんでいる。一方の曹植も従軍中に「離思賦」を作り、曹丕への思慕を表明している。
  8. ^ 伊藤正文『曹植』 中國詩人選集 第3巻(第一刷発行)、岩波書店、1958年11月20日。ISBN 9784001005035https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b477549.html2020年12月1日閲覧 
  9. ^ 文選李善注より
  10. ^ 三国志Ⅲ 非公式ガイドブック P.195


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