幣原喜重郎 家族・親族

幣原喜重郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/21 14:11 UTC 版)

家族・親族

幣原喜重郎は幣原九市郎の婿養子である幣原新治郎の次男として生まれた[89]。新治郎の長男、つまり喜重郎の兄に当たる幣原坦(幼名・徳治郎)は東洋史学者で教育行政官[89][90][91][92]。坦の次女・澄江は農芸化学者古在由直の長男・由正に嫁いだ[90][92][93]。由正・澄江夫妻の長男が「コザイの式」で知られている天文学者古在由秀であり[90][92]、由正の弟、すなわち由直の次男がマルクス主義哲学者古在由重である[90][92]。古在由秀は最後の東京天文台(国立天文台の前身)台長および国立天文台の初代台長を務め「星の手帖」(既に廃刊)の編集委員としても知られており、2009年平成21年)には文化功労者に選ばれている。また坦の孫に当たる幣原廣は弁護士で、古在由秀の従弟に当たる。第二東京弁護士会所属であり、副会長経験あり。多数の委員会活動に関与しているため、弁護士会では「多重会務者」などと呼ばれている。

幣原喜重郎の妻・雅子三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の四女。したがって喜重郎は加藤高明春路夫人が弥太郎の長女)や岩崎久弥(弥太郎の長男、三菱財閥3代目総帥)、木内重四郎(磯路夫人が弥太郎の次女)らの義弟に当たる[94]。ただし春路・久弥・磯路の3人は弥太郎の正妻・喜勢が産んだのに対し雅子は妾腹の出である。したがって雅子は春路・久弥・磯路の異母妹に当たる。

喜重郎・雅子夫妻は3人の男子をもうけた。長男・道太郎は元獨協大学英語学科[95]教授[89]で幣原の著書「外交50年」の解説をした(長男隆太郎(1938年9月16日生[96])と次男章二(1940/9/30生[96]と長女・倶子(1940/9/30生[96])がいて隆太郎には長男・愼一郎(1971/7/30生[96])と二男・幸二(1979生[96])がいる)、次男・重雄は元三菱製紙勤務[89]、三男・平三は夭折。長男は改憲論者であった。なお幣原内閣で大蔵大臣を務めた渋沢敬三も磯路の婿に当たる姻戚である[94]。渋沢敬三は渋沢栄一の孫に当たり、日銀総裁や大蔵大臣を務める傍ら、日本における民俗学の発展に多大な貢献をした学者でもある。また、1947年岩崎家との縁から、財団法人東洋文庫の理事長に就任し、三菱財閥解体を受けて運営危機に陥った同文庫を翌年に国立国会図書館支部として維持させることに成功した。戦前より続く日本の東洋学研究の中心であった同文庫を解散の危機から救ったその功績は今日少なからず評価されている。


  1. ^ 大平駒槌は幣原と語った日から後、娘の羽室ミチ子に語って聞かせた。ミチ子はまず銀行手帳に書き留めたがこれは1946年6・7月頃に盗難され、1955年になって大学ノートに書いて復元した。1959年には憲法調査会の依頼で再度書き直している。憲法調査会版では「軍備全廃」について幣原が提案していたことになっているが、大学ノート版にはそれがないなどの違いがある[17]
  2. ^ 幣原の秘書である岸倉松によると、平野は公設・私設のいずれの秘書でもなく、幣原の元を訪れることもそれほど多くはなかったという[33]
  1. ^ a b c d 幣原喜重郎』 - コトバンク
  2. ^ 門真ゆかりの人々 幣原喜重郎(しではら きじゅうろう) 門真市
  3. ^ 幣原喜重郎 | 三菱グループサイト”. www.mitsubishi.com. 2022年3月5日閲覧。
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  6. ^ 五百籏頭真 1997, p. 108
  7. ^ 『官報』号外、昭和20年10月9日
  8. ^ 吉田茂が固辞、幣原にお鉢が回る(昭和20年10月7日 毎日新聞(東京))『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p239 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  9. ^ 幣原首相に人権確保の五大改革要求(昭和20年10月13日 朝日新聞)『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p357
  10. ^ 中村克明 2021, p. 155.
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  20. ^ 中村克明 2021, p. 154.
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  23. ^ 中村克明 2021, p. 152.
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  32. ^ 西修 2004, p. 4.
  33. ^ 種稲秀司 2023, p. 46.
  34. ^ 種稲秀司 2023, p. 27.
  35. ^ a b 種稲秀司 2023, p. 28.
  36. ^ a b 種稲秀司 2023, p. 29.
  37. ^ 種稲秀司 2023, p. 31.
  38. ^ 種稲秀司 2023, p. 43.
  39. ^ 種稲秀司 2023, p. 33.
  40. ^ 西修 2004, p. 12-13.
  41. ^ a b 種稲秀司 2023, p. 39-40.
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  55. ^ 『官報』第4004号「叙任及辞令」1896年10月31日。
  56. ^ 『官報』第5337号「叙任及辞令」1901年4月22日。
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  59. ^ 『官報』第7425号「叙任及辞令」1908年3月31日。
  60. ^ 『官報』第8477号「叙任及辞令」1911年9月21日。
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  74. ^ 『官報』第1488号「叙任及辞令」1931年12月14日。
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  78. ^ 『官報』第566号「叙任及辞令」1914年6月20日。
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  83. ^ 『官報』第79号「叙任及辞令」1927年4月7日。
  84. ^ 『官報』第1426号「叙任及辞令」1931年9月29日。
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  87. ^ 幣原喜重郎に組閣の大命(昭和20年10月7日 朝日新聞)『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p239
  88. ^ 「ケア物資 十万個は幣原さんに」『日本経済新聞』昭和25年11月21日3面
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  93. ^ 『人事興信録 第9版』、シ22頁。
  94. ^ a b 『閨閥 新特権階級の系譜』 「三菱財閥」創業家・岩崎家 大財閥“三菱王国”を築いた岩崎一族の系譜 394-407頁
  95. ^ https://www.dokkyo.com/community/ob-class/article-1294/
  96. ^ a b c d e 平成新修旧華族家系大成上p716
  97. ^ 『「家系図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣 昭和・平成篇』竹内正浩、実業之日本社、幣原喜重郎の章
  98. ^ No.12 門真出身の総理大臣 幣原喜重郎(下)パナソニック松愛会
  99. ^ 二・二六事件について』初出:週刊読売 1968年2月23日号に掲載
  100. ^ 林房雄との対談『対話・日本人論』(番町書房、1966年。夏目書房 新版、2002年)および、三島の作品『英霊の聲






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