幣原喜重郎
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家族・親族
幣原喜重郎は幣原九市郎の婿養子である幣原新治郎の次男として生まれた[89]。新治郎の長男、つまり喜重郎の兄に当たる幣原坦(幼名・徳治郎)は東洋史学者で教育行政官[89][90][91][92]。坦の次女・澄江は農芸化学者・古在由直の長男・由正に嫁いだ[90][92][93]。由正・澄江夫妻の長男が「コザイの式」で知られている天文学者・古在由秀であり[90][92]、由正の弟、すなわち由直の次男がマルクス主義哲学者の古在由重である[90][92]。古在由秀は最後の東京天文台(国立天文台の前身)台長および国立天文台の初代台長を務め「星の手帖」(既に廃刊)の編集委員としても知られており、2009年(平成21年)には文化功労者に選ばれている。また坦の孫に当たる幣原廣は弁護士で、古在由秀の従弟に当たる。第二東京弁護士会所属であり、副会長経験あり。多数の委員会活動に関与しているため、弁護士会では「多重会務者」などと呼ばれている。
幣原喜重郎の妻・雅子は三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の四女。したがって喜重郎は加藤高明(春路夫人が弥太郎の長女)や岩崎久弥(弥太郎の長男、三菱財閥3代目総帥)、木内重四郎(磯路夫人が弥太郎の次女)らの義弟に当たる[94]。ただし春路・久弥・磯路の3人は弥太郎の正妻・喜勢が産んだのに対し雅子は妾腹の出である。したがって雅子は春路・久弥・磯路の異母妹に当たる。
喜重郎・雅子夫妻は3人の男子をもうけた。長男・道太郎は元獨協大学英語学科[95]教授[89]で幣原の著書「外交50年」の解説をした(長男隆太郎(1938年9月16日生[96])と次男章二(1940/9/30生[96]と長女・倶子(1940/9/30生[96])がいて隆太郎には長男・愼一郎(1971/7/30生[96])と二男・幸二(1979生[96])がいる)、次男・重雄は元三菱製紙勤務[89]、三男・平三は夭折。長男は改憲論者であった。なお幣原内閣で大蔵大臣を務めた渋沢敬三も磯路の婿に当たる姻戚である[94]。渋沢敬三は渋沢栄一の孫に当たり、日銀総裁や大蔵大臣を務める傍ら、日本における民俗学の発展に多大な貢献をした学者でもある。また、1947年、岩崎家との縁から、財団法人東洋文庫の理事長に就任し、三菱財閥解体を受けて運営危機に陥った同文庫を翌年に国立国会図書館支部として維持させることに成功した。戦前より続く日本の東洋学研究の中心であった同文庫を解散の危機から救ったその功績は今日少なからず評価されている。
- 祖父・幣原九市郎(1806-1878) ‐ 河内国門真村(現・門真市)の豪農。幣原家はもともと石清水八幡宮に捧げる御幣を作っていたと言われる[97]。
- 父・幣原新治郎(1847-1921) ‐ 九市郎の長女・静の夫。門真村初代助役。旧姓・市川。実家は農家。
- 兄・幣原坦(1870-1953) ‐ 台北帝国大学初代総長。外孫に古在由秀。
- 妹・幣原節(1884年生) ‐ 大阪府初の女医(産婦人科)[98]
- 妻・幣原雅子(1881-1956) ‐ 岩崎弥太郎の四女(庶子)。
- 長男・幣原道太郎(1903年生) ‐ 国文学者。東京帝国大学卒。駒澤大学教授、獨協大学名誉教授。先妻・光子は西郷寅太郎の娘(1954年離婚)。光子の姪(西郷吉之助の娘)の夫に二信組事件の安全信用組合理事長・鈴木紳介。長女・倶子は今西清兵衛商店の卸売「泉屋」今西健策に嫁いだ。
- 次男・幣原重雄(1904年生) ‐ 三菱製紙勤務。東大法学部卒。岳父に野村財閥一族の野村元五郎
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- ^ a b c d e 平成新修旧華族家系大成上p716
- ^ 『「家系図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣 昭和・平成篇』竹内正浩、実業之日本社、幣原喜重郎の章
- ^ No.12 門真出身の総理大臣 幣原喜重郎(下)パナソニック松愛会
- ^ 『二・二六事件について』初出:週刊読売 1968年2月23日号に掲載
- ^ 林房雄との対談『対話・日本人論』(番町書房、1966年。夏目書房 新版、2002年)および、三島の作品『英霊の聲』
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