帝国公道会 帝国公道会の概要

帝国公道会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/26 13:45 UTC 版)

帝国公道会初代会長・板垣退助
第2代会長・大木遠吉
副会長・大江卓
松井庄五郎翁頌徳碑(奈良市

概略

明治時代被差別部落の生活改善と思想善導を目的とした組織の結成を計画した人物に、奈良県松井庄五郎山口県の僧侶・河野諦円らがいた[2]。松井は、大正元年(1912年)「大和同志会」を設立したが、さらに規模拡大を考え、明治初期の解放令制定にも関わった元代議士大江卓を顧問に迎えて、全国的な展開を図ろうと考えた。そこで、山口県の河野諦円の同志・岡本道寿が大江に折衝したところ快諾を得る。さらに大江の提案で板垣退助を盟主に頂き、大同団結を図ることになった。これにより、政財官界や宗教界の代表に参加を呼びかけ、大正3年(1914年6月7日、「帝国公道会」が結成された[3]

創設

初代会長は板垣退助、副会長は大木遠吉本田親済が就任し、解放令発布を明治天皇の恩徳とし、恩徳に報いるために社会はこれまでの差別を反省して部落の住民への同情を注ぎ、住民も社会の一員として認められるような行動を求めた[3]。特に明治天皇の聖旨「億兆一人もその処を得ざるものあるは、これ朕が罪なり」とある『億兆安撫國威宣揚の御宸翰』を重視し、この意を体して実践することこそが、日本民族の発展につながるとした[4]

沿革

大和同志会幹部。左より、松井庄五郎、吉川吉次郎、東清吉、藤井彦五郎、坂本清俊

機関誌『公道』を発刊。のち書名を『社會改善公道』と改め、松井庄五郎の設立した大和同志会と共同歩調をとり、同会の機関誌『明治之光』と、帝国公道会の機関誌『社會改善公道』を相互に共同刊行。世論の喚起を促し、また各地の部落の現状を調査して差別問題の調停や北海道などへの移住による生活改善策の実施を図った[1]

大正7年(1918年)米騒動が発生すると、水野錬太郎内務大臣の要請を受けた大江は各地の部落を回って軽挙妄動を慎むことを諭した。大正8年(1919年2月23日に各界名士や部落指導者を招いて第1回同情融和大会(どうじょうゆうわたいかい)を開催して「部落改善」「同情融和」を決議。この時、松井庄五郎は、奈良県の部落代表として参画した。しかし、同年7月16日、会長の板垣退助が薨去[3]。これに伴い、大木が第2代会長に就任し、大江が副会長に就任した。また同年、大木遠吉大日本国粋会総裁に就任。融和団体国粋思想が深く浸透するきっかけとなった[1]。同年10月、高知県公道会が結成される [5]

大正10年(1921年2月13日に、第2回大会を開き[6]明治天皇の聖旨を奉戴し、上下一致同情融和の実を挙げむことを期す」とする決議を採択した。

全国水平社との対立

大正10年(1921年)2月の大会では、帝国公道会の指針である「同情融和論」に反対し、部落大衆による自主解放を求める檄文が撒かれる一幕があり、明治天皇の恩恵と説く考えを欺瞞として批判を行う派閥(左派)が登場した[6]。また同年、大江が死去したことにより、求心力が衰微すると、檄文を撒いた一派らが左派を集めて会を割り、大正11年(1922年)3月3日、全国水平社を結成してしまう。会を割られた帝国公道会は、大正12年(1923年)3月に起きた「水国事件」に代表されるように、全国水平社と対立を深めた。しかし、全国水平社の左傾化に、皆が納得していた訳ではなく、昭和2年(1927年)1月、全国水平社の重鎮・南梅吉らが左派運動に疑問を呈し「水平社」を割って右派を結集し「日本水平社」を組織。この派閥は融和運動に路線を戻った[注釈 2]


注釈

  1. ^ そのため、全国水平社の歴史記述の中では、帝国公道会の融和運動が省略、略述され、存在がなかったかのように無視されることがある。
  2. ^ 全国水平社が分裂し、日本水平社が結成される原因となった全水の「左傾化」は、昭和6年(1931年)の「全水解消意見」で極に達し、昭和8年(1933年)の「部落委員会」方針の決定と高松地裁糾弾闘争の高揚まで運動的混迷が続いた。

出典

  1. ^ a b c d 『差別と反逆 平野小剣の生涯』朝治武著、筑摩書房、2013年、ISBN 978-4-480-88529-6
  2. ^ 大和同志会と山口県の部落差別撤廃運動』北川健著
  3. ^ a b c 『板垣精神 : 明治維新百五十年・板垣退助先生薨去百回忌記念』”. 一般社団法人 板垣退助先生顕彰会 (2019年2月11日). 2019年8月30日閲覧。
  4. ^ 『明治大帝と板垣退助の勤皇精神』一般社団法人板垣退助先生顕彰会
  5. ^ 『帝国公道会による地方公道会構想の実際』吉田文茂著
  6. ^ a b 朝治武 2013, p. 85.
  7. ^ 『自主的融和団体・高知県自治団の軌道』吉田文茂著
  8. ^ 『水平運動と融和運動の中間に位置した高知県自治団の軌跡』吉田文茂著


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