尊王論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/09 09:15 UTC 版)
概要
儒教における理念で、仁徳による統治を意味する「王道」と、武力や策略による統治である「覇道」を対比し(孟子#王覇を参照)、王道を尊ぶことを説くのが尊王論である。(尊王斥覇(せきは))[要出典]
中国においては「王者」のモデルは古代周王朝の王であったことからもともと「尊王」と書いた[要出典]。
日本では当初鎌倉時代から南北朝時代にかけて尊王論が受容され、天皇を「王者」、武家政権(幕府)を「覇者」とみなし後者を否定する文脈で用いられ、鎌倉幕府の滅亡・建武の新政への原動力となった[要出典]。
幕藩体制においては、朝廷は幕府の制約を受けていたが、権威的秩序、宗教的な頂点の存在として位置づけられた。幕政改革の混乱や、異国船の来航による対外的緊張等政治的混乱が起こると、幕府は秩序維持の為大政委任論に依存して朝廷権威を政治利用し、朝廷の権威が復興する[要出典]。
江戸時代中期に国学がさかんになり、記紀や国史、神道等の研究が行われ、武士や豪農等の知識層へも広まる。また、天皇陵の修復や、藩祖を皇族に結びつける風潮も起こる[要出典]。
幕末には、平田国学や水戸学等ナショナリズムとして絶対化され、仏教を排斥する廃仏毀釈としても現れる[要出典]。幕府が諸外国と条約を結び、鎖国体制を解いて開国を行うと、攘夷論と結合して尊王攘夷(尊攘)となり、幕政批判や討幕運動等へと展開していく素地のひとつとなり、明治以降の国体論や国家神道へも影響する[要出典]。
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