天気予報
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/16 21:13 UTC 版)
天気予報の歴史
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
近代以前の予報
天気は多くの人々の生計と生活に大きな影響を与えるものであり、古代においてもこのことは今にもまして重要なことであった。およそ数千年の間、人々は一日が、もしくは一つの季節がどのような天気になるか予想しようとしてきた。紀元前650年に、バビロニア人は雲のパターンから天気を予測し、紀元前およそ340年には、アリストテレスが気象学に基づいた天候のパターンを描き出した。中国大陸の民族も少なくとも紀元前300年までに天気を予測していた。
通常、古代の天気予報の方法は、天候のパターンを見つけることに依存していたために全ては経験に頼ったものであった。例えば、日没時に空が際立って赤かったならば、翌日は晴れが予想される、などといった具合にである(「夕焼け#観天望気」参照)。この経験は、世代を越えて天気に関する知恵(たとえば諺など、観天望気)を蓄積することとなった。しかしながら、これらの予測全てが信頼できるものだと証明されるとは限らず、また、それら経験に頼った天気予報は後の研究により厳格な統計学的分析に依拠しないものもあるということが判明してきている。
特に漁師や廻船などの船乗りは荒れた海に出ると生命にかかわるため、日本では天気の観測・予測を「日和見」と呼んで重視した[2]。日本各地に残る日和山(ひよりやま)等の地名は、そこから天気の具合を観察したことによる。
日本では1884年(明治17年)6月1日に近代的な天気予報の第一号が発表されたが、江戸時代には平戸藩で参勤交代など船の運航を担っていた山崎家は天気見様(てんきみよう)という天気観測・予報に力を入れていた[2]。
天気予報の近代化
1837年の電報の発明まで、近代的な天気予報の時代は到来しなかった。この発明までは蒸気機関車より少しでも早いリアルタイムの大気の状態についての情報は伝えることができなかったからである。しかし電報の発明は、ほぼ瞬時に広範囲から気象の状態に関する情報を収集することが可能となった。このことにより、はるか風上の天気の情報を元にした天気予報が可能となった。
クリミア戦争の際、暴風で黒海の英仏艦隊が壊滅したのを受けて、フランスのパリ天文台台長のユルバン・ルヴェリエが暴風雨を予測する研究を行い、天気予報の必要性をナポレオン3世に進言した。
1854年に設立されたイギリス気象庁は世界で最も早期に設立された気象機関の一つで、1870年代に天気図の作成を開始、1879年には新聞に対して情報提供を開始するなど先進的な試みを行っている。気象学の発達した欧米各国は、1873年に国際気象機関(IMO、後の世界気象機関)を設立して国際協力を推進した。一方で、軍事機密を伴う部分もあるため、予報のノウハウは各国が独自に培っていった部分が大きい。
科学的な天気予報の誕生に功績があったと最も信じられている人物は、フランシス・ボーフォート(ボーフォート風力階級で知られる)と彼の部下ロバート・フィッツロイ(the Fitzroy Barometerの開発者)である。2人はイギリスの海軍や政官界で影響力をもった人物で、当時新聞で嘲られていたが、彼らの仕事は、科学的信頼を獲得し、英国艦隊によって受け入れられ、今日の天気予報知識の全ての基礎を形成した。
現代の天気予報
20世紀の間に、大気変化の研究を取り入れた気象学は大きく進歩した。数値予報の考え方は1922年にルイス・フライ・リチャードソンによって提示された。しかしながら、天気予報を成り立たせるために必要な膨大な計算をこなすコンピュータはその当時存在しなかった。1970年に初めて、数値予報により世界中の天気予報業務を行うことが可能となった。
国際テレビ放送やインターネットの発達により天気予報のグローバル化が進んでいる[5]。特に先進国の民間気象会社は、世界の気象機関や自社で観測したデータなどをもとに世界各国の天気予報をインターネットや各メディアでユーザーに届けるようになった[5]。グローバルな天気予報は利便性を向上させる一方、情報源、予報技術、信頼性などが見えにくく、災害をもたらすような気象現象において責任国家機関の情報と各民間気象事業者の予報が異なる事態により受け手が混乱を招く問題も指摘されている[5]。世界気象機関WMOでは情報の混乱の緩和を図るため、世界の主要都市の週間予報と災害の危険のある顕著現象について公式の情報提供を行っている[5]。
一方で気象サービスの商業化とともに、各国の公共サービスの見直しや財政の緊縮化を背景に、国家が気象サービスを有料化する動きもある[5]。その顕著な例がニュージーランドで、ニュージーランドでは政府が100%株式を保有する政府企業が有料で気象サービスを提供するようになっている[5]。ヨーロッパでもこのような商業化の流れがみられるが、アメリカや日本では通信料だけで国の機関から気象サービスの提供を受けることができ商業化とは対極にある[5]。気象サービスの商業化政策に対しては、気象情報の有効活用や開発意欲を阻む要因になるともいわれている[5]。
注釈
- ^ 「弱い」「強い」「非常に強い」といった階級表現や風力による表現の場合、カテゴリー予報にも含められる。
- ^ 気候値予報とは、気候値(平年値)に完全に依存した予報のこと。
- ^ 熱帯低気圧については進路予報は行われなかったが、台風に発達する可能性がある熱帯低気圧については、2020年9月9日から、進路予報が行われるようになった。[14]
- ^ 5時発表の天気予報を配信している時間帯は除く。
- ^ 番号の詳細は日本の市外局番・各種分類内の複数の都道府県にまたがる上3桁の項目を参照(例・岐阜県美濃地方058{0582-177・0586と0587を愛知県西部で使用}静岡県西部地方053{0538-177・0531〜0533を愛知県東部で使用}山梨県中部地方055{0552-177・0550と0557〜055-9**を静岡県東部で使用}など)。
- ^ Y!mobileの機種で実際に確認した。
出典
- ^ てん‐き【天気】の意味 goo辞書(2017年4月4日閲覧)
- ^ a b c d e f g h i j k 【なるほど!ルーツ調査隊】天気予報、平戸藩に専門職 精度、衛星・スパコンで向上『日本経済新聞』夕刊2022年7月4日くらしナビ面(2022年7月9日閲覧)
- ^ 予報用語 予報の名称 気象庁
- ^ 5-2.予報の分類 タマの気象学(2011年1月27日閲覧)
- ^ a b c d e f g h i j k l m 古川武彦. “国境を越える天気予報”. 天気 54(5) (日本気象学会) 2021年1月31日閲覧。.
- ^ 「世界的な航空便の欠航で天気予報の精度低下も 世界気象機関」NHK
- ^ 降水の有無の適中率の例年値 気象庁(2020年4月18日閲覧)
- ^ 予報精度の評価 タマの気象学(2011年1月27日閲覧)
- ^ 天気予報の精度検証結果 検証方法の説明 気象庁、(2011年1月27日閲覧)
- ^ skill AMS Glossary(2011年1月27日閲覧)
- ^ a b c d 小西雅子. “世界の気象資格事情について”. 天気 48(3) (日本気象学会) 2021年1月31日閲覧。.
- ^ 「英BBC、93年続いた英国気象庁との天気予報の提供契約を打ち切りへ」スラド(2015年08月28日)
- ^ 「英ピカデリーサーカス電光掲示板、改装工事で消灯 第2次大戦以来」AFP(2017年1月17日)
- ^ 熱帯低気圧も5日先まで予報 台風になる場合―気象庁時事通信
- ^ a b 天気予報の確認は「テレビ」が8割で「スマホ」を大きく上回る!(マクロミル調べ)PR TIMES
- ^ a b テレホンサービスの第1号「天気予報サービス 177」開始から半世紀~歴史とエピソードあれこれ~ NTT東日本
- ^ a b c d “177天気予報電話サービスについて”. 気象庁. 2023年6月14日閲覧。
- ^ 東京電話・東京電話アステル新サービスお天気音声情報サービス「ハロー天気」開始について TTNet(2000年12月26日)
- ^ アステル電話で松坂慶子の音声による天気音声情報サービス ケータイWatch(2000年12月27日16:40)
- ^ 【コレ知ってる!?】駅構内にある、昔ながらの電光掲示板の天気予報 | トリビア | 鉄道新聞
- ^ a b [ステンドグラス]福澤諭吉の好奇心〜身近で意外な福澤先生の足跡〜慶應義塾(2007年1月15日)
- ^ 「所により」は英語から 朝日新聞デジタル「ことばマガジン」2013年2月12日
- ^ 石井清司『日本の放送をつくった男 フランク馬場物語』毎日新聞社、1998年10月30日、101頁。ISBN 4-620-31247-9。
- ^ テレホンサービスの第1号「天気予報サービス 177」開始から半世紀 NTT東日本(2004年12月24日)
天気予報と同じ種類の言葉
- 天気予報のページへのリンク