大江音人 人物

大江音人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 15:54 UTC 版)

人物

性格は静かで落ち着いており、飾り気がなく口数が少なかった。眉が広く目は大きく大柄で立派な顔立ちをしており、風格もあった。また、声も大きくて美しかった[8]

政体故事に通暁し、政務において疑義が生じる度に朝廷から諮問を受けたという[8]。また学者としても知られ、通儒と称された。菅原是善らと『貞観格式』の撰上を担当、その上表文と式序を作成し、また『日本文徳天皇実録』の編纂にも参画した。『群籍要覧』『弘帝範』の編纂も行い、家集に『江音人集』があったとされるが、いずれも散逸して現在には伝わっていない。

官歴

※日付=旧暦

系譜

  • 父:大枝本主
  • 母:中臣石根の娘 - 阿保親王侍女[11]
  • 妻:不明
    • 男子:大江公幹
    • 男子:大江玉淵
    • 男子:大江千里
    • 男子:大江宗淵
    • 男子:大江染淵
    • 男子:大江千秋
    • 男子:大江千古(866-924)
    • 男子:大江春潭
    • 男子:大江千枝

  1. ^ 朝野群載』三所収、大江匡衡「熱田宮祈請男挙周明春侍所望状」(長徳4年11月9日付)
  2. ^ 『日本三代実録』貞観10年閏12月28日条
  3. ^ 日本三代実録』貞観8年10月15日条
  4. ^ 大日本史』氏族志による。但し『姓氏家系大辞典』ではこの説を臆説に過ぎないとしている。
  5. ^ 『本朝皇胤紹運録』では音人を阿保親王の子としている。
  6. ^ 今井源衛「大江音人阿保親王子息説をめぐって」『王朝の物語と漢詩文』(笠間書院、1990年)
  7. ^ 目崎徳衛「在原業平の官歴について」『平安文化史論』(桜楓社、1968年)
  8. ^ a b 『日本三代実録』元慶元年11月3日条
  9. ^ 『公卿補任』貞観6年(864年)条の尻付
  10. ^ 『日本三代実録』。『公卿補任』では1月13日
  11. ^ 『公卿補任』、『尊卑分脈』による。


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