三八式歩兵銃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 01:24 UTC 版)
運用
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2017年12月) |
完全軍装の歩兵は、弾薬5発を1セットにした挿弾子(クリップ)を30発分収めた前盒(弾薬盒)を前身頃の左右に2つ、また60発入の後盒1つをそれぞれ革帯(ベルト)に通し、計120発を1基数として携行した。弾薬付きの挿弾子は3個1セット(計15発)で紙箱に包装され、紙箱のままで弾薬盒に収めるよう定められていた。銃剣は三十年式歩兵銃制定時に合わせて制定された三十年式銃剣を使用する。
基本的に補給効率を考慮して三八式歩兵銃を装備する中隊には、同じ三八式実包を使用する三八式機関銃、1923年(大正12年)から1940年(昭和15年)にかけては十一年式軽機関銃、ないし1930年代後期から敗戦までは九六式軽機関銃(九九式短小銃・小銃装備部隊には九九式軽機関銃)が配備される。
日中戦争以降(1930年代後期以降、帝国陸軍は1937年の歩兵操典草案で本格的な分隊疎開戦闘に移行)当時の帝国陸軍の歩兵小隊火力の中心は、軽機関銃と重擲弾筒であり、1個小隊には小銃のほか第1~3分隊に軽機関銃1挺と、第4分隊に八九式重擲弾筒3門が定数であった。また、1個大隊にはこれに重機関銃(九二式重機関銃)12挺を擁する1個機関銃中隊、歩兵砲(九二式歩兵砲ないし九七式曲射歩兵砲)2門を擁する大隊砲小隊が付随する。さらに連隊(歩兵連隊)には山砲(四一式山砲)4門を擁す連隊砲中隊、対戦車砲(九四式三十七粍砲)4門を擁す速射砲中隊が加わり歩兵大隊に直接・間接協力するため、「日本軍は三八式歩兵銃のみで戦った」とされる伝聞は誇張されたものである。
-
1932年1月、錦州において三八式歩兵銃を装備した歩兵連隊の軍旗衛兵
-
1930年代、演習で三八式歩兵銃を装備した歩兵連隊の軍旗衛兵
-
1937年(昭和12年)頃、支那事変において三八式歩兵銃を装備した歩兵
-
1937年、支那事変において三八式歩兵銃で捧げ銃を行う軍旗衛兵
各国との比較
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2017年12月) |
第二次大戦期における主要各国軍の小銃は総じて19世紀末期から20世紀初頭に開発・採用されたもので、これらは三八式歩兵銃および原型の三十年式歩兵銃とは同世代である(ドイツ国防軍のマウザー K98k(Kar98k)、ソ連労農赤軍のモシン・ナガン M1891/30、イギリス軍のリー・エンフィールド No.4 Mk I、イタリア王国軍のカルカノ M1891、フランス軍のルベル M1886)。ボルトアクション式小銃は1900年前後に既に完成の域に達した銃火器であり、各国はその時代の小銃をベースに細かな改良を施しながら第二次大戦終戦しばらくまで主力装備として扱っている。
アメリカ軍も半自動小銃たるM1 ガーランドの配備遅延により、1942年中頃(第二次大戦初中期)まではボルトアクション式のスプリングフィールド M1903が依然主力小銃であった。例として第一次フィリピン戦ではアメリカ極東陸軍が、ガダルカナル島の戦い初期にはアメリカ海兵隊とアメリカ陸軍がこのM1903で日本軍と戦火を交えている。また、上述の通りドイツ・ソ連・イギリス・イタリア・フランスでは、一貫してボルトアクション式小銃が第二次大戦における小銃手の主力火器である(第二次大戦期にソ連ではトカレフ M1940が、ドイツではヴァルター Gew43半自動小銃、ヘーネル StG44突撃銃等が開発・採用されているが、ボルトアクション式小銃と比べると、いずれも少数生産に終っている)。
日本を含む第一次大戦以降の各国陸軍の戦闘ドクトリンにおいて、(小銃手が多数を占めるものの)歩兵火力の要は小銃ではなく機関銃(軽機関銃・中機関銃・重機関銃・汎用機関銃)である。
注釈
- ^ 一部の海外輸出用は使用弾薬変更型有。
- ^ 終戦直後の連合軍に対する武装解除時、紋章をそのままに敵に渡すのは忍びないとした日本軍将兵の手により出来る限り紋章を削る行為がされていた。しかし全ての小銃の紋章を完全に削り取ることはできず、軽く傷をつけた物や無傷のものなど、個体差がある。アメリカの収集家間ではこの菊花紋章を「マム(Mum)」(Chrysanthemumの略)と呼称しており、マーケットにおいて「マム」の削り具合や傷の付け具合により価格は変動する(無傷な物ほど希少)。
- ^ 映画『拝啓天皇陛下様』では、古兵が内務班の銃架に並べられた本銃の引き金を次々と引いて状態を確認し、撃針が作動する金属音が鳴った、すなわち撃針を後退させたままにしていた新兵に制裁を加える場面がある。
- ^ 本銃の後継である九九式短小銃では、部品の互換性が実現された。
出典
- ^ “明治工業史. 火兵・鉄鋼篇”. 2020年4月4日閲覧。
- ^ The Rifles of China 1880-1950
- ^ 陸軍省兵器局銃砲課 『三八式小銃弾薬盒加修及四四式騎銃負革分数交換ニ関スル件』 大正5年 アジア歴史資料センター Ref:C02031956300
- ^ 大阪砲兵工廠 『防楯試験器トシテ三八式小銃三挺備附ノ件』 大正7年 アジア歴史資料センター Ref:C03011071800
- ^ 陸軍技術本部 『三八式小銃実包小付ノ件』 大正9年 アジア歴史資料センター Ref:C03011373300
- ^ “旧日本軍の三八式小銃、ミャンマーで今も現役”. YOMIURI ONLINE. 読売新聞社 (2013年3月19日). 2013年5月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月11日閲覧。
- ^ 昭和7年特許出願公告第2326号 改造自動銃 - 特許情報プラットフォーム(J-PlatPat)
- ^ 試作一式テラ銃 - 25番
- ^ 日本特殊鋼製 教練用小銃 - 25番
- ^ Siamese Mauser Followup - the Type 66 Rifle - Forgotten Weapons
- ^ 第一軍の「兵器引継書」に見る終戦時の状況 - 日華事変と山西省
- ^ Japanese Rifles 1870 - 1945 - Carbines for Collectors
固有名詞の分類
- 三八式歩兵銃のページへのリンク