ミニスカート 歴史

ミニスカート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/12 01:00 UTC 版)

歴史

紀元前14世紀のエクトヴィズ・ガールの衣装の再現図
短裙苗を着た女性たち (1900年)

考古学的に発掘された最古のミニスカート状の衣服は、紀元前1380年頃のエクトヴィズ・ガールのものである[1][2]。中国のミャオ族清朝時代の衣装、短裙苗もミニスカートに似ている[3]。ダンサーのジョセフィン・ベーカーが1920年代半ばに舞台衣装として着ていたバナナスカートも非常に短いものであった。

1920年代以前は、西洋の女性は足首までの丈のスカートを着るのが通例であった。1920年代には、ココ・シャネルのデザインを筆頭にそれ以前の西洋の女性のスカートよりも丈が短いものが見られ始めた。しかし、1930年代は世界恐慌のため、1940年代は第二次世界大戦のため、女性のファッションは再び保守的なものとなった。1950年代後半から、一部の女性の間でスカートが短くなり始めた。1960年代プレタポルテの台頭に加えて若者のファッションであるストリートファッションの影響力も強くなっており、その典型的アイテムが『ミニスカート』であった。

1959年にロンドンのストリート・デザイナーマリー・クヮントが若者向けに売り出し[4]、大ヒットする。1965年1月のヴォーグ誌ではジョン・ベイツ英語版がデザインしたミニスカートのドレスが特集され、後のその年のドレス・オブ・ザ・イヤーに選ばれている[5]。さらなる世界的な流行の火付け役は、フランスファッションデザイナーアンドレ・クレージュによる1965年1月の発表であった[6][7][8]。彼はその前年の1964年8月にもミニスカートを発表している[9]。これに続き、その他のデザイナーたちもミニスカートを発表し始めるようになった。この頃から、イギリス出身のモデルツイッギーが着用してブームを呼び起こし、これによりミニスカートは世界中に広がった。ツイッギーは1967年10月に来日し、日本にもツイッギー旋風を起こしてミニスカートを流行させた。

日本での歴史

ギャル系ファッションのミニスカート。

1965年昭和40年)8月11日帝人が日本で初めてのミニスカート「テイジンエル」を発売。1967年(昭和42年)の3月、野際陽子パリから帰国した際に着用[10]。同年10月、英国モデルのツイッギーが来日した時にミニスカートを着ていた[10]。同年に美空ひばりがミニスカート姿で「真赤な太陽」を歌謡番組で歌った。同年、ミニスカートブームにあやかって山本リンダが「ミニミニデート」、木の実ナナが「ミニ・ミニ・ロック」を歌ってヒットさせまた、藤ユキのデビュー曲「あなたと二日いたい」のB面曲である「ミニ・ミニ・デート」が話題になり、金井克子も「小っちゃな恋の歌(ミニ・ミニ・ラブ)/ミニ・ミニ・ガール」を発売するなど盛り上がりを見せた[11]。都市部の若い女性だけにとどまらず、世代を超えて全国津々浦々に広がり、1969年(昭和44年)に首相・佐藤栄作の訪米に同行した首相夫人・佐藤寛子は当時62歳の年齢でミニスカートを着用した。この当時多くの女性のミニスカートは、ひざ丈よりやや短い程度であった。

また、既存のスカートの裾を自ら短くしてミニスカートに改造することも多く、その様は漫画『サザエさん』でもしばしば描かれている。この第一次ミニスカートブームは交通機関・女性警官・大阪万博での多くのパビリオンのコンパニオンなど女性の制服にも影響したが、1973年(昭和48年)から 1974年(昭和49年)頃には終息した。その後1982年(昭和57年)頃の小流行を経て、1980年代末から1990年代初頭のバブル期には膝上30~35cmで「超ミニ」、「マイクロミニ」などとも呼ばれるミニスカートが流行した。この流行はボディコンシャスなスタイルの流行に伴うもの。その後は若年層を除いて極端なミニスカートの流行がたびたび見られる。スカートの丈と経済の好況不況が関連付けて論じられることもある。


注釈

  1. ^ アップダウンクイズ」や「クイズドレミファドン」など。
  2. ^ MBSのローカル番組「関西バンザイ新聞」の調べでは、京都府ひざ上16.7cm、滋賀県ひざ上14.6cmの平均に対して、大阪府ひざ上0.1cm、兵庫県ひざ下6.1cmだった。神戸には伝統的なお嬢様校が多く、過度な露出で下品な印象になるより、清楚な着こなしが好まれるとされる。[1][2][3]

出典

  1. ^ A. F. Harding (18 May 2000). European Societies in the Bronze Age. Cambridge University Press. pp. 372–. ISBN 978-0-521-36729-5. https://books.google.com/books?id=EbIVASSe9jcC&pg=PA372 
  2. ^ Remains of Bronze-Age Cultic Priestess Hold Surprise”. livescience (2015年5月21日). 2015年6月19日閲覧。
  3. ^ Diamond, Norma (1997). “Defining the Miao”. In Harrell, Stevan. Cultural encounters on China's ethnic frontiers (2nd pr. ed.). Seattle: University of Washington Press. pp. 98–103. ISBN 0-295-97528-8. https://books.google.com/books?id=WChrSv86uIsC&pg=PA98 
  4. ^ Mary Quant マリークヮント - FASHION PRESS
  5. ^ Lester, Richard (2008). John Bates : fashion designer. Woodbridge, Suffolk: ACC Editions. p. 45. ISBN 9781851495702 
  6. ^ Courreges クレージュ - FASHION PRESS
  7. ^ ミニスカート広めた仏デザイナーが死去
  8. ^ アンドレ・クレージュ氏死去=フランスのファッションデザイナー
  9. ^ Peterson, Patricia (1964年8月3日). “Courrèges Is Star of Best Show Seen So Far”. The New York Times. https://www.nytimes.com/1964/08/03/courreges-is-star-of-best-show-seen-so-far.html 2016年1月11日閲覧。 
  10. ^ a b “野際陽子さん…必ず「わたし」ではなく「わたくし」と言った“美学の人””. スポーツ報知 (報知新聞社). (2017年6月16日). オリジナルの2017年6月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170619120618/http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170616-OHT1T50015.html 2017年6月19日閲覧。 
  11. ^ 「ミニミニ娘に乾杯」『映画情報』1967年12月号。NDLJP:10339803/22
  12. ^ 女高生スカート日本一短い 新潟の「どうしたら」議論
  13. ^ 株式会社東レ経営研究所『経営センサー』上級MOT短期集中研修「戦略的技術マネジメント研修」について(第19回)全期同窓会 特別講演会 繊維ファッション産業のリード役が語る “異業種協業による顧客創造の歴史” 52-62頁 2011.4 (PDF)
  14. ^ “視点・論点「知られざる真珠王国 日本」”. NHK. (2014年1月7日). http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/177417.html 2014年1月11日閲覧。 


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