シンボリルドルフ 競走馬引退後

シンボリルドルフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 13:41 UTC 版)

競走馬引退後

種牡馬引退後のシンボリルドルフ。
2006年9月20日撮影

シンボリルドルフは公開入札という広く株主を募集する手法で10億円(2000万円×50株)のシンジケートが組まれ、北海道門別町シンボリ牧場で種牡馬生活に入った。1世代目の産駒が1990年にデビューし、その中からGI4勝の二冠馬トウカイテイオーを出した。このトウカイテイオーにより父子2代連続の無敗での皐月賞・東京優駿の二冠制覇を達成した。2世代目の産駒からも4歳牝馬特別東京新聞杯優勝のキョウワホウセキや、ステイヤーズステークス優勝、宝塚記念2着のアイルトンシンボリフランスの重賞で2着に入ったジャムシードを輩出した。1994年にはアイルトンシンボリらの活躍により生涯の最高位となる種牡馬ランキング6位に入った。その後中央競馬の重賞馬を出せないでいたが、1999年ツルマルツヨシ朝日チャレンジカップ京都大賞典に優勝した。

2000年に行われた「20世紀の名馬大投票」で22,521票を獲得し、6位に選出された。1位はナリタブライアンで、得票は37,798票だった。また、雑誌『Number』で行われた競馬関係者による「20世紀の名馬アンケート」ではシンザンに次ぐ2位に選ばれた。

2004年をもって種牡馬を引退後は日高町のシンボリ牧場で功労馬として余生を過ごした。また、同年8月にはJRAゴールデンジュビリーキャンペーンの「名馬メモリアル競走」として「シンボリルドルフメモリアル」が初出走を果たした新潟競馬場にて施行された。

29歳[注 10]となった2010年1月に、冬の北海道の寒さは厳しいという配慮で、23年間繋養されていた富川のシンボリ牧場から千葉のシンボリ牧場に移動した。

第30回ジャパンカップでのパドック展示。
2010年11月28日撮影

2010年11月28日にはジャパンカップが第30回を迎えたことを記念して、東京競馬場でのパドック展示が行われ、引退式以来24年ぶりに競馬場へ輸送され、若々しい馬体をファンに披露した[26]。なお、この年のジャパンカップはブエナビスタが1着入線しており、勝てば自身とトウカイテイオー以来2例目の父仔制覇(ブエナビスタの父はスペシャルウィーク)となるはずだったが、皮肉にもブエナビスタは降着処分を受け、繰り上がりでローズキングダムの優勝という結果になった[注 11]

死亡、そして追悼

2011年10月4日、繋養先の千葉シンボリ牧場にて死亡した。馬齢30歳[27]

日本中央競馬会では、10月8日のペルセウスステークスとオパールステークスが「シンボリルドルフ追悼競走」との副題を付し「追悼競走」が施された。また、各競馬場・ウインズには記帳台が設置され、東京競馬場と京都競馬場において追悼写真展が行われた[28]。その年、オルフェーヴルが3冠を達成している。2年後には後継種牡馬であるトウカイテイオーも死亡した。

種牡馬成績

年度 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005
順位JRA 115位 31位 10位 9位 6位 14位 15位 35位 30位 20位 41位 68位 79位 105位 98位 282位
AEI (JRA) 1.06 1.84 1.52 1.48 1.49 1.06 0.94 0.73 0.80 1.01 0.80 0.59 0.58 0.37 0.59 0.16
総出走頭数 13 60 68 71 70 72 71 66 69 61 57 47 49 34 15 13
総勝ち頭数 6 18 24 31 28 23 30 23 21 19 14 12 10 8 8 1
  • 1990年 ファーストリーシーズンサイアー1位
  • 2004年 種牡馬引退

主な産駒

栗山求によると、産駒は神経質で激しい気性を持ち、成長力のある中距離で活躍する傾向でありタフな馬場に強いと分析している[3]

母父としての主な産駒


シンボリルドルフ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 パーソロン系
[§ 2]

*パーソロン
Partholon
1960 鹿毛
アイルランド
父の父
Milesian
1953 鹿毛
イギリス
My Babu Djebel
Perfume
Oatflake Coup de Lyon
Avena
父の母
Paleo
1953 鹿毛
フランス
Pharis Pharos
Carissima
Calonice Abjer
Colonis

スイートルナ
1972 栗毛
千葉県香取郡大栄町
スピードシンボリ
1963 黒鹿毛
北海道新冠郡新冠町
*ロイヤルチャレンヂャー
Royal Challenger
Royal Charger
Skerweather
スイートイン *ライジングライト
*フイーナー[43]
母の母
*ダンスタイム
Dance Time
1957 鹿毛
アイルランド
Palestine Fair Trial
Una
Samaritaine Maravedis
Sarita
母系(F-No.) (FN:F11-c) [§ 3]
5代内の近親交配 Pharos・Fairway 4×5=9.38%、Tourbillon 5×5=6.25% [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ - 5代血統表[43]および、netkeiba.com - 5代血統表[44]に基づく。
  2. ^ netkeiba.com - 5代血統表に基づく[44]
  3. ^ JBISサーチ - 5代血統表に基づく[43]
  4. ^ netkeiba.com - 5代血統表に基づく[44]

注釈

  1. ^ 英語で「象徴」を意味する「Symbol」を変形させた造語。前身の牧場名「新堀」に因む。
  2. ^ ルドルフ1世は生涯皇帝として戴冠することはなかった(君主号はローマ王だった)。
  3. ^ 第2仔スイートコンコルド、第3仔スイートルクー。なお1982年生まれの第5仔(最終仔)マチカネアスカには孫に中山大障害勝ちのメルシーエイタイムがいる。
  4. ^ 旧3歳7月の初出走は、歴代三冠馬の中では最も早い。
  5. ^ 兄のシンボリフレンドはダートのレースでデビューし、そこで砂をかぶったためにその後気性難になった。シンボリルドルフがデビューした当時、北海道では札幌競馬場に芝コースがなかったこともあって、ダートのレースが多かった。
  6. ^ レース後、トモを怪我しており、2、3針縫ったという[8]
  7. ^ 1994年ナリタブライアン、2005年ディープインパクト、2011年オルフェーヴル、2020年コントレイルは全て関西馬である。
  8. ^ なお、この一件以来ビゼンニシキの馬主が岡部に騎乗を依頼することはなくなった[11]。調教師の成宮も相当長い間(調教師引退直前まで)岡部とは疎遠になった。
  9. ^ 当時は、日本馬が欧州馬と同じ検疫条件で出走することはできなかったため、日本馬の海外遠征は非常に不利であった。
  10. ^ 人間の年齢で言うと80歳以上の高齢とされる。
  11. ^ なおブエナビスタは翌2011年のジャパンカップで優勝し2例目の父仔制覇を果たしている
  12. ^ Number」誌上で杉本清と長岡一也が対談した際、シンボリルドルフに触れて「実況泣かせの馬名は大成しないはずだったのだが」とボヤいたことがある。

出典

  1. ^ a b 馬を讃える | 日高町 競馬観光ご案内サイト”. 日高町. 2015年6月7日閲覧。
  2. ^ シンボリフレンド|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年2月17日閲覧。
  3. ^ a b c 優駿』2020年11月号 通巻923号 114-115頁
  4. ^ 優駿』1985年6月号 通巻498号 77頁
  5. ^ a b c 柴田政人師、幻のルドルフ主戦騎手だった”. 日刊スポーツ (2011年10月5日). 2011年10月8日閲覧。
  6. ^ 『名馬列伝 シンボリルドルフ』 p.18
  7. ^ 『名馬列伝 シンボリルドルフ』 p.20
  8. ^ 『優駿』2011年11月号、13頁。 
  9. ^ a b 『史上最強馬シンボリルドルフ』 p.183
  10. ^ a b 『史上最強馬シンボリルドルフ』 pp.202-203
  11. ^ a b 『名馬列伝 シンボリルドルフ』 p.22
  12. ^ 『史上最強馬シンボリルドルフ』 p.123
  13. ^ 『史上最強馬シンボリルドルフ』 p.134
  14. ^ 『史上最強馬シンボリルドルフ』 p.137
  15. ^ 『史上最強馬シンボリルドルフ』 p.145
  16. ^ 『史上最強馬シンボリルドルフ』 p.61
  17. ^ 『ルドルフの背』 p.52
  18. ^ 『史上最強馬シンボリルドルフ』 pp.195-196
  19. ^ 『史上最強馬シンボリルドルフ』 p.227
  20. ^ a b 『ルドルフの背』 p.153
  21. ^ 当時はスタート地点のコースは曲線状だったため大外は不利だった。
  22. ^ 『優駿』1985年12月 大川慶次郎
  23. ^ a b c 『ルドルフの背』 p.161
  24. ^ 『ルドルフの背』 p.157
  25. ^ 【ルドルフ物語】(19)ブックメーカーはオッズをどうつけるか https://archive.is/QUwnj
  26. ^ “皇帝”ルドルフが登場 MSN産経ニュース 2010年11月29日
  27. ^ シンボリルドルフ死す 30歳 日刊スポーツ 2011年10月4日閲覧
  28. ^ シンボリルドルフ号 追悼行事のお知らせ JRA公式サイト 2011年10月5日閲覧
  29. ^ 山陰中央新報2011年10月5日
  30. ^ 七冠馬を知る”. 簸上清酒合名会社 (2022年1月24日). 2024年2月12日閲覧。
  31. ^ 『史上最強馬シンボリルドルフ』 p.81
  32. ^ 『凱旋シンボリルドルフを作った男』 p.264
  33. ^ 井崎脩五郎「【連載エッセイ】僕のはなしを聞きなさい」『Gallop臨時増刊 週間100名馬 EX5 マンハッタンカフェ』通巻第105号、産業経済新聞社、2002年11月11日、28 - 29頁。 
  34. ^ 野平裕二『野平祐二の新しい競馬』p118(中央競馬ピーアール・センター、1987年)
  35. ^ 『優駿』1985年5月号p174
  36. ^ a b 今井寿恵『シンボリルドルフ-勝つことに憑かれた名馬』p88(角川書店、1985年)
  37. ^ a b 『優駿』1985年5月号P82
  38. ^ 藤沢和雄『競走馬私論 馬はいつ走る気になるか』P79.80(クレスト新社、1999年)
  39. ^ 『ルドルフの背』 p.114
  40. ^ 『ルドルフの背』 p.95
  41. ^ 「絶対」はある!皇帝ルドルフ伝説幕開け 空に掲げた2本指は史上初無敗3冠への確信”. スポーツニッポン. 2020年5月27日閲覧。
  42. ^ 三冠馬の走り方について”. 公益財団法人 軽種馬育成調教センター. 2014年12月10日閲覧。
  43. ^ a b c JBISサーチ - 5代血統表”. JBISサーチ. 2016年7月23日閲覧。
  44. ^ a b c netkeiba.com - 5代血統表”. netkeiba.com. 2016年7月23日閲覧。






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