シンボリルドルフ
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競走馬引退後
シンボリルドルフは公開入札という広く株主を募集する手法で10億円(2000万円×50株)のシンジケートが組まれ、北海道門別町のシンボリ牧場で種牡馬生活に入った。1世代目の産駒が1990年にデビューし、その中からGI4勝の二冠馬トウカイテイオーを出した。このトウカイテイオーにより父子2代連続の無敗での皐月賞・東京優駿の二冠制覇を達成した。2世代目の産駒からも4歳牝馬特別、東京新聞杯優勝のキョウワホウセキや、ステイヤーズステークス優勝、宝塚記念2着のアイルトンシンボリ、フランスの重賞で2着に入ったジャムシードを輩出した。1994年にはアイルトンシンボリらの活躍により生涯の最高位となる種牡馬ランキング6位に入った。その後中央競馬の重賞馬を出せないでいたが、1999年にツルマルツヨシが朝日チャレンジカップ、京都大賞典に優勝した。
2000年に行われた「20世紀の名馬大投票」で22,521票を獲得し、6位に選出された。1位はナリタブライアンで、得票は37,798票だった。また、雑誌『Number』で行われた競馬関係者による「20世紀の名馬アンケート」ではシンザンに次ぐ2位に選ばれた。
2004年をもって種牡馬を引退後は日高町のシンボリ牧場で功労馬として余生を過ごした。また、同年8月にはJRAゴールデンジュビリーキャンペーンの「名馬メモリアル競走」として「シンボリルドルフメモリアル」が初出走を果たした新潟競馬場にて施行された。
29歳[注 10]となった2010年1月に、冬の北海道の寒さは厳しいという配慮で、23年間繋養されていた富川のシンボリ牧場から千葉のシンボリ牧場に移動した。
2010年11月28日にはジャパンカップが第30回を迎えたことを記念して、東京競馬場でのパドック展示が行われ、引退式以来24年ぶりに競馬場へ輸送され、若々しい馬体をファンに披露した[26]。なお、この年のジャパンカップはブエナビスタが1着入線しており、勝てば自身とトウカイテイオー以来2例目の父仔制覇(ブエナビスタの父はスペシャルウィーク)となるはずだったが、皮肉にもブエナビスタは降着処分を受け、繰り上がりでローズキングダムの優勝という結果になった[注 11]。
死亡、そして追悼
2011年10月4日、繋養先の千葉シンボリ牧場にて死亡した。馬齢30歳[27]。
日本中央競馬会では、10月8日のペルセウスステークスとオパールステークスが「シンボリルドルフ追悼競走」との副題を付し「追悼競走」が施された。また、各競馬場・ウインズには記帳台が設置され、東京競馬場と京都競馬場において追悼写真展が行われた[28]。その年、オルフェーヴルが3冠を達成している。2年後には後継種牡馬であるトウカイテイオーも死亡した。
種牡馬成績
年度 | 1990 | 1991 | 1992 | 1993 | 1994 | 1995 | 1996 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
順位(JRA) | 115位 | 31位 | 10位 | 9位 | 6位 | 14位 | 15位 | 35位 | 30位 | 20位 | 41位 | 68位 | 79位 | 105位 | 98位 | 282位 |
AEI (JRA) | 1.06 | 1.84 | 1.52 | 1.48 | 1.49 | 1.06 | 0.94 | 0.73 | 0.80 | 1.01 | 0.80 | 0.59 | 0.58 | 0.37 | 0.59 | 0.16 |
総出走頭数 | 13 | 60 | 68 | 71 | 70 | 72 | 71 | 66 | 69 | 61 | 57 | 47 | 49 | 34 | 15 | 13 |
総勝ち頭数 | 6 | 18 | 24 | 31 | 28 | 23 | 30 | 23 | 21 | 19 | 14 | 12 | 10 | 8 | 8 | 1 |
- 1990年 ファーストリーシーズンサイアー1位
- 2004年 種牡馬引退
主な産駒
栗山求によると、産駒は神経質で激しい気性を持ち、成長力のある中距離で活躍する傾向でありタフな馬場に強いと分析している[3]。
- トウカイテイオー(皐月賞、東京優駿、ジャパンカップ、有馬記念、産経大阪杯)
- シャマードシンボリ(みちのく大賞典、青藍賞、新春杯白嶺賞、すずらん賞2回)
- キョウワホウセキ(4歳牝馬特別、東京新聞杯)
- ツルマルツヨシ(京都大賞典、朝日チャレンジカップ)
- アイルトンシンボリ(ステイヤーズステークス2回、宝塚記念2着)
- ジャムシード(リュテス賞2着、ダイヤモンドステークス2着)
- ミスタールドルフ(ダービーグランプリ、北日本新聞杯、北國王冠、白山大賞典)
- ハクシンフリーダム(尾張名古屋杯)
- シンボリミサキ(中津記念)
- トミケンロマン(笠松・サラ・クイーン特別)
- シンボリメロディー(足利記念)
母父としての主な産駒
- アクティブバイオ(日経賞、アルゼンチン共和国杯)
- アズマサンダース(京都牝馬ステークス)
- ブルーイレヴン(東京スポーツ杯2歳ステークス、関屋記念)
- マイネルハーティー(ニュージーランドトロフィー)
- チョウサンタイガー(テレビ埼玉杯)
- スプリングボックス(小倉サマージャンプ)
- テンセイフジ(関東オークス)
シンボリルドルフの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | パーソロン系 |
[§ 2] | ||
父 *パーソロン Partholon 1960 鹿毛 アイルランド |
父の父 Milesian1953 鹿毛 イギリス |
My Babu | Djebel | |
Perfume | ||||
Oatflake | Coup de Lyon | |||
Avena | ||||
父の母 Paleo1953 鹿毛 フランス |
Pharis | Pharos | ||
Carissima | ||||
Calonice | Abjer | |||
Colonis | ||||
母 スイートルナ 1972 栗毛 千葉県香取郡大栄町 |
スピードシンボリ 1963 黒鹿毛 北海道新冠郡新冠町 |
*ロイヤルチャレンヂャー Royal Challenger |
Royal Charger | |
Skerweather | ||||
スイートイン | *ライジングライト | |||
*フイーナー[43] | ||||
母の母 *ダンスタイムDance Time 1957 鹿毛 アイルランド |
Palestine | Fair Trial | ||
Una | ||||
Samaritaine | Maravedis | |||
Sarita | ||||
母系(F-No.) | (FN:F11-c) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Pharos・Fairway 4×5=9.38%、Tourbillon 5×5=6.25% | [§ 4] | ||
出典 |
注釈
- ^ 英語で「象徴」を意味する「Symbol」を変形させた造語。前身の牧場名「新堀」に因む。
- ^ ルドルフ1世は生涯皇帝として戴冠することはなかった(君主号はローマ王だった)。
- ^ 第2仔スイートコンコルド、第3仔スイートルクー。なお1982年生まれの第5仔(最終仔)マチカネアスカには孫に中山大障害勝ちのメルシーエイタイムがいる。
- ^ 旧3歳7月の初出走は、歴代三冠馬の中では最も早い。
- ^ 兄のシンボリフレンドはダートのレースでデビューし、そこで砂をかぶったためにその後気性難になった。シンボリルドルフがデビューした当時、北海道では札幌競馬場に芝コースがなかったこともあって、ダートのレースが多かった。
- ^ レース後、トモを怪我しており、2、3針縫ったという[8]。
- ^ 1994年ナリタブライアン、2005年ディープインパクト、2011年オルフェーヴル、2020年コントレイルは全て関西馬である。
- ^ なお、この一件以来ビゼンニシキの馬主が岡部に騎乗を依頼することはなくなった[11]。調教師の成宮も相当長い間(調教師引退直前まで)岡部とは疎遠になった。
- ^ 当時は、日本馬が欧州馬と同じ検疫条件で出走することはできなかったため、日本馬の海外遠征は非常に不利であった。
- ^ 人間の年齢で言うと80歳以上の高齢とされる。
- ^ なおブエナビスタは翌2011年のジャパンカップで優勝し2例目の父仔制覇を果たしている
- ^ 「Number」誌上で杉本清と長岡一也が対談した際、シンボリルドルフに触れて「実況泣かせの馬名は大成しないはずだったのだが」とボヤいたことがある。
出典
- ^ a b “馬を讃える | 日高町 競馬観光ご案内サイト”. 日高町. 2015年6月7日閲覧。
- ^ “シンボリフレンド|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年2月17日閲覧。
- ^ a b c 『優駿』2020年11月号 通巻923号 114-115頁
- ^ 『優駿』1985年6月号 通巻498号 77頁
- ^ a b c “柴田政人師、幻のルドルフ主戦騎手だった”. 日刊スポーツ (2011年10月5日). 2011年10月8日閲覧。
- ^ 『名馬列伝 シンボリルドルフ』 p.18
- ^ 『名馬列伝 シンボリルドルフ』 p.20
- ^ 『優駿』2011年11月号、13頁。
- ^ a b 『史上最強馬シンボリルドルフ』 p.183
- ^ a b 『史上最強馬シンボリルドルフ』 pp.202-203
- ^ a b 『名馬列伝 シンボリルドルフ』 p.22
- ^ 『史上最強馬シンボリルドルフ』 p.123
- ^ 『史上最強馬シンボリルドルフ』 p.134
- ^ 『史上最強馬シンボリルドルフ』 p.137
- ^ 『史上最強馬シンボリルドルフ』 p.145
- ^ 『史上最強馬シンボリルドルフ』 p.61
- ^ 『ルドルフの背』 p.52
- ^ 『史上最強馬シンボリルドルフ』 pp.195-196
- ^ 『史上最強馬シンボリルドルフ』 p.227
- ^ a b 『ルドルフの背』 p.153
- ^ 当時はスタート地点のコースは曲線状だったため大外は不利だった。
- ^ 『優駿』1985年12月 大川慶次郎
- ^ a b c 『ルドルフの背』 p.161
- ^ 『ルドルフの背』 p.157
- ^ 【ルドルフ物語】(19)ブックメーカーはオッズをどうつけるか https://archive.is/QUwnj
- ^ “皇帝”ルドルフが登場 MSN産経ニュース 2010年11月29日
- ^ シンボリルドルフ死す 30歳 日刊スポーツ 2011年10月4日閲覧
- ^ シンボリルドルフ号 追悼行事のお知らせ JRA公式サイト 2011年10月5日閲覧
- ^ 山陰中央新報2011年10月5日
- ^ “七冠馬を知る”. 簸上清酒合名会社 (2022年1月24日). 2024年2月12日閲覧。
- ^ 『史上最強馬シンボリルドルフ』 p.81
- ^ 『凱旋シンボリルドルフを作った男』 p.264
- ^ 井崎脩五郎「【連載エッセイ】僕のはなしを聞きなさい」『Gallop臨時増刊 週間100名馬 EX5 マンハッタンカフェ』通巻第105号、産業経済新聞社、2002年11月11日、28 - 29頁。
- ^ 野平裕二『野平祐二の新しい競馬』p118(中央競馬ピーアール・センター、1987年)
- ^ 『優駿』1985年5月号p174
- ^ a b 今井寿恵『シンボリルドルフ-勝つことに憑かれた名馬』p88(角川書店、1985年)
- ^ a b 『優駿』1985年5月号P82
- ^ 藤沢和雄『競走馬私論 馬はいつ走る気になるか』P79.80(クレスト新社、1999年)
- ^ 『ルドルフの背』 p.114
- ^ 『ルドルフの背』 p.95
- ^ “「絶対」はある!皇帝ルドルフ伝説幕開け 空に掲げた2本指は史上初無敗3冠への確信”. スポーツニッポン. 2020年5月27日閲覧。
- ^ “三冠馬の走り方について”. 公益財団法人 軽種馬育成調教センター. 2014年12月10日閲覧。
- ^ a b c “JBISサーチ - 5代血統表”. JBISサーチ. 2016年7月23日閲覧。
- ^ a b c “netkeiba.com - 5代血統表”. netkeiba.com. 2016年7月23日閲覧。
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