アル・ゴア アル・ゴアの概要

アル・ゴア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/04 05:30 UTC 版)

アル・ゴア
Al Gore
1994年
生年月日 (1948-03-31) 1948年3月31日(76歳)
出生地 アメリカ合衆国 ワシントンD.C.
出身校 ヴァンダービルト大学ロー・スクール中退
ハーバード大学卒業
現職 環境活動家
所属政党 民主党
称号 ノーベル平和賞
配偶者 ティッパー・ゴア(1970 - 2010、別居)
子女 カレナ・ゴア
クリスティン・ゴア
サラ・ゴア
アル・ゴア3世
親族 アル・ゴア・シニア(父親・連邦上院議員)
サイン
公式サイト Al Gore

在任期間 1993年1月20日 - 2001年1月20日
大統領 ビル・クリントン

選挙区  テネシー州
在任期間 1985年1月3日 - 1993年1月2日

選挙区  テネシー州
在任期間 1977年1月3日 - 1985年1月3日
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ノーベル賞受賞者
受賞年:2007年
受賞部門:ノーベル平和賞
受賞理由:人為的気候変動(地球温暖化)についての問題点を広く知らしめ、気候変動防止に必要な措置への基盤を築くために努力したことに対して

生い立ち・家族・人物評

1948年3月31日、ワシントンD.C.にてアルバート・ゴア・シニアポーリーン・ラフォンの長男として誕生した。父はテネシー州のベテランの民主党上院議員で、ゴアはワシントンD.C.テネシー州カーセッジで幼少期を過ごした。学生時代ゴア一家はワシントンのホテルに住み、セント・アルバンズ・スクールに通学した。夏季休暇中はカーセッジで暮らし、家族の農場で働いた。

1965年ハーバード大学に入学し政治学を専攻した。当時の彼のルームメートは後に俳優になるトミー・リー・ジョーンズであった。彼は1969年6月にハーバード・カレッジを文学士号を取得して卒業した。1974年ヴァンダービルト大学ロー・スクールに入学したが、1976年に中退した。

1970年にメアリー・エリザベス・エイチェソン (ティッパー・ゴア)と結婚した。彼らは高校時代にテネシー州のダンスパーティで出会い、結婚後は4人の子供をもうけた。カレナ (1973年8月6日 - , ドルー・シフと1997年から2010年まで結婚していた)、クリスティン (1977年6月5日 - )、サラ (1979年1月7日 - ) 及びアルバート3世 (1982年10月19日 - )。ゴアには更にワイアット及びアンナ・シフという2人の孫がいる。2010年2月、長年連れ立ったメアリーと離婚することを公表し、別居を始めた。2012年現在は、大口政治資金提供者だったエリザベス(リズ)・キードルと交際中である。

ゴアはナッシュビルの郊外に住み、カーセッジの近くに小さな農場を所有している。一家はカーセッジのニュー・セイレム・ミッショナリーバプテスト教会に通っている。2005年、一家はサンフランシスコのセント・リージスにマンションを購入した。

政歴

1976年の春にロースクールを退学したゴアはテネシー州の選挙区から下院議会選挙に出馬して当選した。3回当選を重ねた後の1984年には下院に出馬せず、上院議会選挙に立候補して当選し、1992年副大統領に選出されるまで務めた。

1988年アメリカ合衆国大統領選挙に出馬するも予備選挙の段階で敗退し、その後マイケル・デュカキス支持に回っている。

1989年4月3日に当時6歳の息子であるアルバートがボルチモア・オリオールズの開幕戦から帰る途中交通事故に遭い、瀕死の重傷を負った。これを受けてゴアは大統領予備選挙に向けてクリントンに対抗する基盤作りよりも、息子の回復を見守ることを選んだ。そしてその間は環境保護を訴える本(『アース・イン・ザ・バランス』邦題:『地球の掟』)の執筆を行い、それがニューヨーク・タイムズによるベストセラー本のリストに入った。

1991年にはアルバートが提出した高性能コンピュータ法(HPC法)がジョージ・H・W・ブッシュ政権で可決され、後のクリントン政権での情報スーパーハイウェイ構想の端緒となった。

彼の企画した情報スーパーハイウェイ構想に刺激されて、インターネットが爆発的に普及したことは有名である。また、クリントン政権の末期にナノテクノロジーに興味を示し、この研究に対して資金援助した。これが、ナノテクノロジーが世界的に注目されるきっかけになった。


注釈

  1. ^ インターネットの商用利用前夜において教育機関のネットワークを強化することは、研究者の活動を支援する意図もあったが、一般の人々にネットの恩恵を認知させる上で極めて重要な政策であった。
  2. ^ 実際の発言は「私は、連邦議会議員任期中に、インターネットを作るために率先して発言したり行動した」(During my service in the United States Congress, I took the initiative in creating the Internet.)

出典

  1. ^ Reinventing Government
  2. ^ WIRED.jp 『ゴア副大統領がインターネットの父だって?』 Declan McCullagh 1999年3月12日
  3. ^ ワンダ・オースティン、Appleの取締役に選任”. Apple Newsroom (日本). 2024年1月27日閲覧。 “2003年から務めているアル・ゴアと2015年に就任したジェームズ・ベルの両者は、今年Appleの取締役を退任します。”
  4. ^ https://www.oit.ac.jp/japanese/international/oit_factsheet.pdf
  5. ^ https://yab.yomiuri.co.jp/adv/wol/news/news_081126.html
  6. ^ Borenstein, Seth (June 27, 2006). "Scientists OK Gore's Movie for Accuracy". Washington Post. http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/06/27/AR2006062700780.html
  7. ^ [1]
  8. ^ 『「世界初の環境長者」アル・ゴア氏』
  9. ^ Al Gore could become world's first carbon billionaire. 『アル・ゴアは、世界初のカーボン億万長者になることができました』イギリス紙デイリーテレグラフ 2009年11月3日






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