Q資料をめぐる議論の経緯とは? わかりやすく解説

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Q資料をめぐる議論の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 02:01 UTC 版)

Q資料」の記事における「Q資料をめぐる議論の経緯」の解説

近代以降聖書批判的研究進められる中で、初めQ資料のような資料存在の可能性示したのはイギリス人のハーバート・マーシュ(Herbert Marshであった。彼は1801年に、新約聖書収録されている四つ福音書のうち、内容的に共通点が多いマタイマルコルカ共観福音書についての論文発表し、共通資料存在仮定したが、同時代の人々には無視された。マーシュはこの資料ヘブライ文字アルファベットから「ベート」と呼んだ現代のような形でのQ資料説を整えたのはドイツ人神学者フリードリヒ・シュライアマハーであった。彼は1832年古代著作者パピアス(en)の125年ごろの記述とされるマタイヘブライ語書かれた主のことば(ロギア)をまとめた」という一節の「ことば」という部分からQ資料存在推測した一般的にはこの部分マタイ福音書失われたヘブライ語版のことを指すとみなされてきたが、シュライエルマッハーはそうではなくイエス語録というものの存在仮定していた。 1838年同じくドイツのヴァイセ(Christian Hermann Weisse)がシュライエルマッハーの説を受けてマルコ福音書最初に成立しマルコイエス語録をもとにマタイルカ書かれたという説、いわゆる二資料仮説唱えたハインリヒ・ホルツマンHeinrich Julius Holtzmann)はこの説を発展させ、共観福音書成立過程説得力ある形で解説したこの頃、まだQ資料という呼び方はなく、パピアス記述をもとに「語録ロギア)」と呼ばれていたが、ホルツマンはこの資料を「ロギア」の頭文字から「ラムダ資料」と呼んだ19世紀終わりになるとパピアス記述イエス語録のこととみるのは問題が多いという指摘がされるようになったため、パピアス由来するラムダ資料」という呼び方変えてドイツ語で「出典」をあらわす「Quelle」の頭文字をとった中立的なQ資料」と呼ばれるようになったちなみに最初にこの呼び方提唱したのはドイツ人のヨハン・ヴァイス(Johannes Weiss)であるといわれている。 20世紀最初20年間、さまざまなQ資料」が想定された。それはマタイ一文だけを含むといったものから、マタイ本文そっくりそのまま含まれるといったようなものまでかなり幅のあるものであったこのようにさまざまな説あらわれたことが逆にQ資料仮説そのもの信頼性低下させることになり、Q資料仮説は、聖書学会では、あまり取り上げられなくなったQ資料仮説再び脚光を浴びるのは1960年代入ってからのことになる。ナグ・ハマディ写本含まれていたイエス語録集『トマスによる福音書』が刊行されたことを受けてジェイムズ・ロビンソンJames M. Robinson)やヘルムート・コエスター(Helmut Koester)といった聖書学者たちがQ資料とは『トマスによる福音書のようなものであったという説を唱えたのであるナグ・ハマディ写本内容明らかになったことで、Q資料仮説への熱狂が再び高まった。特に大きな役割果たしたのは聖書学者のジョン・クロペンボルグ(John S. Kloppenborg)であった。クロペンボルグはQ資料三つ段階経て成立したという新しい説を示した彼によれば初めにとめられQ資料イエスの知恵のことばを中心に貧しさ使徒としての資格についてのことばが含まれていた。そこへ終わりの日裁きに関することばが付け加えられ最後にイエス誘惑のことばが付け加えられたという。 近代以降聖書批判的研究プロテスタント研究者たち中心となって推し進めたカトリック教会、特に教皇庁19世紀ヨーロッパで盛んだった教会主義への反発から、きわめて保守的な近代主義をとるようになったため、プロテスタント研究者たちによる近代的研究の成果をもなかなか受け入れなかった。二資料仮説とそこに含まれるQ資料仮説についても近代主義同種のものと捉えられていた。この動き1869年第1バチカン公会議においてその頂点迎えた。この流れ沿って1912年教皇庁委員会示したコメントDS 3568-3578参照)は、二資料仮説Q資料仮説排斥している。 しかし20世紀入り、反近代主義束縛から解き放たれたことで、カトリック教会においてもプロテスタント研究者による批判的聖書研究成果導入積極的な聖書研究が行われるようになった1943年出されローマ教皇ピウス12世による回勅『ディヴィノ・アフランテ・スピリトゥ』(DivinoAfflante Spiritu)では聖書研究対すカトリック教会姿勢がはっきりと示され、かつて発表され近代的聖書研究への否定あくまでも当時暫定的な意見であった表明した第2バチカン公会議文書一つ、『啓示憲章』(Dei Verbum)でも聖書研究における近代的方法論活用推奨されている。

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